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函館日記

函館暮らしの日記

箱館戦争になったのは、仙台藩の稲作依存が原因

戊辰戦争

戊辰戦争とは、薩長同盟と奥羽越同盟とが戦った戦争です。 この史実もそれほどには知られていないでしょうから、あらかじめ言っておきます*1。 「新政府軍」「官軍」とか、「旧幕府軍」「旧幕府脱走軍」などといった表現は、完全に価値観を入れ込んでおり偏向しています。

戊辰戦争とはいわば西軍 対 東北軍の戦争でした。 当初は、奥羽越、つまり北陸・東北の方が有利にも思われていました。版図も奥羽越は広かったし、石高もあったはずです。

ところが、奥羽越には資金力がなく、仲間割れ、裏切りが進み瓦解していきます。 そうして敗走を続けた榎本武揚はじめ武家たちが行き着いたところが箱館でした。

仙台藩と「蝦夷地」

さて、奥羽越でも特に広く、中心的な位置にあったのが、仙台藩(伊達家)です。版図は現在の岩手県南部から茨城県、筑波や土浦の辺りまでに及びます*2。 しかも仙台藩は、「蝦夷地」も大半を支配し、警固をしていました*3

つまり、「蝦夷地」は仙台藩の支配地、奥羽越の領土であり、奪われまいとしたし、そのホームグラウンドで抵抗したわけです。 榎本軍は何が言いたかったかというと、「蝦夷地を我々に知行しろ」、この取引のために抵抗したのが箱館戦争です。

なお、箱館の警固は、多くの時期は南部藩(現・青森県東部〜岩手県の大半)が、一時期は松前藩が担当していたようです。 とはいえ、箱館は、農業をやれるところではほぼなく、商家や漁師などが移住してきていていましたから、地元コミュニティが先に形成されていたようです。

奥羽越が敗けた原因

ところで、戊辰戦争では資金力がありイギリスから兵器を買い集めた薩長が勝ちました。 他方の奥羽越は資金力不足で兵器が足りなかったのです。

なぜ奥羽越がそんなに財政悪化していたのか。特に中心である仙台藩ですね。

仙台藩の財政悪化の原因は、稲作依存です。

仙台藩は、藩士に土地を与えて統治させ年貢を稼がせていました。禄、つまり給与制ではなかったのです。 そして、そうして藩士が稼いだ米を仙台藩が買い上げて転売して、藩政を賄っていました

そうなると、藩士は、買い上げてもらえる米をつくりたがります。稲作ばかりやるようになってしまいます。

仙台藩としても、米がちゃんと獲れれば、それを藩外に輸出してドンドン儲けられ、ウハウハです。

しかし、江戸時代後期になると、世界的な寒冷化が起こります。 寒冷化の原因は火山の噴火ともいわれていますが、とにかく寒冷化しました。 そうなると、ただでさえ寒い東北で、夏がさらに冷えるとなれば、稲は育たなくなってしまいます。虫や細菌にもやられやすくなってしまいます。

米が獲れなくなってしまったので、カネがかかるばっかりで歳入がなくなります。仙台藩の財政は危機的状況になってしまいました。 ところが、財政構造を変える術はありません。かりに藩士の土地を藩有に付け替えて禄制にしても、そもそも米が獲れないので禄を出せません。

食糧は仙台藩依存

江戸時代には、稲作が圧倒的だった仙台藩が輸出する米にかなり依存していました。 だから、東北の冷害、凶作で何が起こったかというと、大飢饉です。 天明天保の大飢饉は教科書にも書いてあるでしょう。

仙台藩の稲作依存と、全国の仙台藩への食糧依存が、大飢饉という大災害に繋がったのです。

幕末にかけて、噴火や地震などの天変地異が多発しました*4。そしてその影響で大飢饉も起こりました。 さらには、欧米がやってきました。

ちなみに、全国的な貧困と、各藩の兵器の買い付けなどで、金銀のほとんどは欧米に流出しました*5。 金銀が減って、財政も悪化して、貨幣の質は落ち、ハイパーインフレでも起こるような状態にもなっていました。

こうした政情不安のもとで統治体制を改めようとしたときに、奥羽越と薩長の東西対決という結果になったのです。

そして、奥羽越が敗北し瓦解して、榎本軍が箱館に籠もって抵抗し、「箱館戦争」になったわけです。

仙台藩その後

戊辰戦争で敗北した仙台藩ですが、藩士を大量解雇して帰農させるしかなくなってしまいました。藩が給与や身分を保障しきれない。藩士は解雇されて士族ですらなくなったりしました。

そうして帰農した元仙台藩士のなかから、「蝦夷地」→「北海道」に開拓に行く人々が多数出ました。 その開拓地の一つが、現在の「伊達市」です。

ちなみに、福島県にも「伊達市」があります。福島県の方が本家筋ですが、市政移行したのは福島県伊達市の方が後です。 福島県伊達町が市政に移行する際に「伊達市にしてもいいですか」と北海道伊達市に訊いたようですが、本家筋からお伺いを立てられても断れる立場にありませんね(笑)。

「北海道」の「開拓」「拓殖」というのは、江戸時代の和人の抗争の後始末の帰結です。 教科書やマスコミなどでは概ね美化されていますが、見ようによっては「黒歴史」ですし、アイヌから見れば侵略されたということになります。

*1:学校では日本史を真には教えていませんし、どこの教科書も刷り込みたいことしか書いていません。山川だろうが育鵬社だろうが。ましてや、学校現場でまともに教えられるわけがなく、なにせ教諭がまともに知らない考えていないうえ教える能力も足りないですから。

*2:そんなこともあり、土浦などは「南東北」と俗に言われることすら未だにあります。

*3:蝦夷地」と呼ばれていましたが、これは蔑称、つまり差別語です。

*4:和親条約(ペリー)開港2港は箱館と下田ですが、通商修好条約(ハリス)では下田が外れているのも、大地震による津波で下田港が壊滅したからです。

*5:昔は世界有数の資源大国だったのです。