函館日記

函館暮らしの日記

自動車優先で寂れる街

函館は、市役所を中心にして四方に道路が広がっています。 南は函館山の麓の護国神社へ、西は函館港(青函連絡船=以前の函館駅)、東は津軽海峡ですが、北は地方裁判所まで、「広路」(ひろじ)、つまり広い道路になっています。 「道」ではなく「路」なのはおそらく、足で歩くみち(歩道)だからなのではないでしょうか。

自家用車の時代になってから久しいです。

豪雪地帯の冬ですから歩くのも大変で、運転が困難で危険なのですが、それでも自家用車が増えたというのもあります。

地下鉄は無いし、市電の輸送力と運行範囲は限られています。いまや、JR(国鉄函館本線に乗る地元の人は主に運転免許を持てない人、典型的には学生生徒だというのが、偏見ではなく本当の実情です*1

いわゆるバブル期までは特に労働、いわゆる「仕事」が優先で、休日にまとめ買いする暮らし方が広まったのは函館でも同じでしょう。

自家用車が増え、自家用車を売ることで自動車産業は儲かる、経済成長をする、欧米を上回るということで、そういう国家政策で来たんですよね。 それで函館も、函館都心の人口は増えず高齢化が進み、美原のような旧亀田市の地域や、桔梗から七飯町方面にかけて、人口が異動していきました。

北洋漁業が乱獲から衰退して函館港(都心)の産業が縮小したのも原因でしょう。それは何十年か前の話ですから、そこから内陸寄りに人口異動がずっと続いてきたわけでしょう。

話を戻して。 市役所を中心とした大通りがあるのですが、通行量は少なく閑散としています。 通行量が多くなったのは、自動車の走る道路、市電も走る道路(「電車通り」)の方です。

歩行者向きの大通りは、昔は、商店が立ち並び賑わっていたのでしょう。 それが、自動車優先の政策、自動車中心の社会になって、自動車の走りやすい道路の通行量が増えました。そして、駐車場のない商店には客が入らなくなりました。

典型的には、歓楽街として有名だった「大門」(松風町)がそうです。昔は、今では思いもよらないほどの栄えっぷりだったようで、それは写真や地図などの記録にも見て取れます。飲食店だけではなく、様々な商店が立ち並び景気が良かったし、棒二森屋だとか、今は無くなったWAKOビルだとかも、とても賑わっていたようです。

かつて景気が良かった頃は、市電も都心をループしていました。松風町電停から宝来町電停まで「東雲線」が運行していたからです。その頃の松風町電停はとても活気があったのでしょう、しかし今は見る影もなく、テナントも付かない空きビルがあります。

そして、青函連絡船どころか定期夜行列車すら無くなった函館駅前は、もはや賑わっている飲食店も限られています。 昔は飛び込みで泊まりに来る客を目当てにしていたような宿泊施設もそういう客がいなくなったために、古い宿泊施設は特に寂れていて、どうやって経営が成り立っているのかと思うようなところもあります。一部は、国外から来る、富裕でなかったりケチだったりする観光客目当てに生き残りを図っているくらいです。

自家用車が増えて移動範囲が広がったことで、多くの人は「便利になった」「いい時代になった」と思い込んでいます。

しかし、移動範囲が広まったら、同じ範囲に滞在することが減りました。 また、速く移動可能になったために、急がされる、忙しい、そういう世の中になりました。

往時は、人口密度が高かった函館(旧函館市)は、町域名が多く、狭い地域で共同体があったんだな、と推察されます。簡単に言うと、江戸の、神田〇〇町、日本橋△△町とかと同じです。 それが今はとっくに町域も統廃合されて、数えきれないほどあった町域も、なんとか憶えられるくらいに減ってしまいました*2。 ちなみに、往時の町名を紹介する石碑はところどころに立てられていますので、目ざとい人ならば、意識したらあちこちで見つけられるでしょう。

観光客の多くも短期滞在で、その短い時間で離れた名所を回ろうとします。 昔は異なる地域であった(歩いたらけっこう遠い)、元町、五稜郭、湯の川だとかも、十把一絡げに「函館」で片付けられてしまいます。観光客にとってはいずれも「函館」というイメージで脳内処理されているわけです。

また、大概の観光計画は、地元の生活感からも乖離してしまいがちです。観光客がよい気分になるような、観光客に見せたい観光プランが用意されているわけですし、それはまあ当然なのでしょうけれど。「函館市」といいつつも、美原の方に来る観光客はあまりいないだろうし、五稜郭駅で降りる人も少ないんだろうと思います。

それでも、市電で周ればまだマシな方かもしれませんが。全線(湯の川から弁天町(ドック前)や谷地頭まで)乗れば、地元の生活感は見えると思います。 「函館朝市」も、過去にも既に、遠方から物資を運んできた人々が売っていたような市場でしたが、それがさらには観光客目当てのビジネスになってしまっています。 それに対して、もしも市電で降りて、「函館自由市場」や「中島廉売」、あるいは本町(五稜郭公園前)や谷地頭などにある市場(廉売、つまり地元向け安売りスポット)に立ち寄れば、地元の生活感が見えます。

それを、観光バスだとかのツアーで周ったり、(運転手に教えてもらわずに)行きたい有名なところだけをタクシーで周ったりしたらどうなるのか。 そうすると歩かずに周れます。1泊2日や、さらには日帰りの人すらいます。札幌などとセットで「北海道観光」ということで計画を立てる人が多いことは主因でしょう、北海道を道州制ではなく県くらいにしか思っていない人は多いですから。

自動車があると時間はかからなくなるでしょう。 歩かずに済みます。運動不足になり、不健康にもなります(いや、笑いごとではすまず、実際そうですから)。 そうして、人生は慌ただしくなり、つまらなくなり、景気も悪化していったのだと思います。

函館市も地元の振興に躍起で、駅隣接の土地に(「キラリス」だけでも十分だと思うんですがさらに)高層ビルを建てる気だし、くだんの「大門」の大通り(大門グリーンプラザ)を再整備する計画も立てています。 土地が余り空きテナントが沢山あって困っているような実情なのに高層ビルを立てるというのも全く解せないのですが(それにビル風がさらに酷くなって辛いし……)、 街に賑わいを取り戻すいわば「復興」もこんなんでやれるのかなこれ、って私は思っています。 地元の人のどのくらいが函館駅前に買い物しに来るのかな? とも思いますし。 通勤で寄るのかな? とも思います。(特別なイベント時でもないかぎり、路上ライブしている人もいないくらいですし……。寄る人が少ないし、寄ってもしかたないと思われているんじゃないかな)

私は批判的なことを書いていますが、世の中を良くするヒントがあると思うから書いているのですよね。 例えば、観光客に見せたい、観光客が喜ぶようなことをしたいからといって、観光産業をやり、イメージ作りをしていますが、来た人自身が実際にどう感じているのか。粉飾したりいいとこだけ採り上げたりして綺麗に思わせたとしても、それでいいのか。 「やたらと広い通りがあるけれど閑散としている、これは何なのか?」と、普通ならば、目にしたら思うし、思うべきなんですが、思われていいのか。ただ単に防火のため(類焼防止)に広くしましたというだけではないと思うんですよね、きっとそうですし。意思をもってした都市計画だったはずです。

函館港のかつての中心地も、舟が入るために堀が張り巡らされていた頃があったはずですが、その堀のあとがどうでしたとか、どれほどの観光客に知らされているのか、関心をもたせられているのかと思いますし。「ベイエリア」に行っておきながら、赤レンガ倉庫でみやげもの買ってそれで終わりでいいんですかね。 「なんやこの高田屋嘉兵衛とかいう人の像は?」とか思うはずで、思わせる方がいいと思うし、そうすると、堀の跡が道になっていることとも関係がある。 いまや電車通りの方が圧倒的通行量があるけれども、他方の閑散としているように見える方に「十字街銀座」って「銀座」ってあるのは昔の名残で、そして今はこんなんなってしまったとか。

そういう現状ですし、その現状を見て、見せて、そこからどうするかという問題だと思うのですよね。

*1:函館だけではなく全国的に「地方路線」がそんなもので、そうしてかつては国家インフラ、国防目的で敷設されていった「北海道」の鉄道ももう、どんどん廃止されていきました。江差木古内江差線も廃止されましたし、木古内五稜郭も「並行在来線」ということで3セク化されました。以前から、炭鉱閉山の街で廃線だとか産業が無くなった地域でどんどん進んできましたが、先日も増毛〜留萌が廃止です( 留萌本線)。「本線」と呼ばれていたものがまるでコッソリと「本線」=幹線でないことにされ、そして3セク化か廃止という流れが、もう確立しているんだと思います。

*2:といっても、札幌や旭川などのような無個性な南○条西△丁目みたいなのはありません。まだ、〇〇町がほとんどです