函館日記

函館暮らしの日記

北海道新幹線の国家的意味

新幹線を東京から「函館」(実際には北斗市=旧大野町)まで繋げたこと、さらに言えば鹿児島中央から「函館」まで繋げたことには、国家的な意図があります。

北海道の国家的意味

「北海道」は植民地です。 明治以降に植民を国家政策的に進めた、フロンティアです。 「北海道」という名称を造ったのも、日本の領土であることを宣言するという意図があります。 江戸時代までは「蝦夷地」と呼んで侮蔑していましたが、「北海道」に改名することで領土であることを明確にしたのです。

戊辰戦争薩長が勝利して、その新政府が「無主地」(実際にはアイヌ人の土地)を、失業した人々などに知行しました。

「知行」(領地の割当)というと時代錯誤みたいですが、本当に、「知行」という表現が的確です。 明治維新武家は失業しました。武士に生業を与える必要があったのです。そこで、上級武士には領地を割り当て、下級武士には「屯田兵」という職を与えました。

また、植民地(フロンティア)ですから、新規事業を興したり、国家的にも民間でも資源を採ったりということで人々が渡って来ました。

それに、「本土」で暮らしていくのが困難な事情のあった人々も、北海道に逃げてきました。

このような事情がありますから、北海道は、県ではなく道州制ですし、一枚岩ではなく地域ごとにバラバラです。

しかしだからこそ、国家政策的に「北海道」として施政しひとまとめにする必要があるわけです。

青函の意味

海峡を渡るためには航路を設定する必要があります。 後年には海底トンネルで鉄道を繋げたわけですが、当時はそんなこと不可能です。

大型船舶が入れ、嵐を避けて停泊可能な港が必要でした。 航路も比較的平穏なところを選ぶ必要があります。

そこで、地形的に有利な函館と青森が選ばれたのです。

函館は既に拠点として発展していました。 津軽海峡は日本海と太平洋を繋いでいます。函館は、その津軽海峡の中間で停泊可能な良港です。 例えば日米和親条約の開港2港は伊豆下田と函館ですが、いずれもアメリカの補給拠点として利便性があったからです。

そこに明治以降には、函館には北海道の玄関としての機能がもたされました。

海峡の反対側の青森市は、本州の玄関にされました。 (江戸時代には津軽藩(現・県西部)と南部藩(現在の県東部と岩手県)だったのが合併されて、青森県が造られ、その県庁所在地には弘前ではなく青森市(昔の地名は善知鳥(うとう))が設定されたのです。これも国家的な政治意図で、です。 日本海側中心で捉えれば遠い青森市も、東京中心で捉えれば近いのです。 日本海側は明治以降には疎んじられていき、とりわけ奥羽越は薩長に刃向かったので東京政府の統制を強化していく国家政策が採られ(東京からの)インフラも整備されていきました。

東京と北海道が直通する意味

津軽海峡に海底トンネルを通すというアイディアは昔からありましたが、現実的には容易ではありません。 それで、鉄道の線路を直結させられず、船舶で連絡していました、だから青函連絡船です。

それが、台風で連絡船が被災する大事故が起こりました。転覆沈没した連絡船の名をとって「洞爺丸台風」と呼んでいるわけです。 その海難事故を機に本格的に青函トンネル計画が進んでいきました。

こうして、線路が東京から北海道まで直通しました。

鉄道が東京から北海道に直通するということは、北海道は東京の統制下だという象徴的意味をもちます。

そして、「新幹線」という新たな幹線(本線)の時代になって、東京と新幹線で繋がることが意味をもつようになりました。 新幹線の整備計画は各地にあっても、順序と取捨選択があります。新幹線で実際に優先的に繋げる都市をどこにするかというのは国家政策的な意味があります。 だから、東京と名古屋・京都・大阪を繋ぐのは当然であったわけですし、下関を通って福岡(博多駅)まで、また東北や日本海側を東京と繋げることにも象徴的重要性もあったのです。 いずれも、東京と繋げることに意味があるのであって、だから例えば秋田と山形と新潟と金沢を繋げるということにはならないわけです。 新幹線を薩摩の鹿児島中央まで敷いたのにも意味があるわけです。

通過地の人々は、「こんな田舎に新幹線が来た」とか「うちにも新幹線駅を!」とか言うんですが、こういう発想は自らわざわざ東京支配を喜んでいるということを意味します。 日本というのはそういう国なのです。虐げられているのに、加虐者にひれ伏しているんです。児童虐待の被虐児がわざわざ虐待者を弁護してしまうのと似たような構造です。

実際の利便性と経済効果からいえば、函館と札幌と旭川を結ぶ方が良いです。 それでも、東京から北海道までを新幹線で繋げるということの方が至上命題であるのです。 既に青函トンネルで繋がっているのに、です。

合理的に考えて、道内の移動を便利にする方が重要でしょう。

観光客にとっても、函館と札幌と旭川の移動手段の利便性が極めて重要です。 とりわけ函館と札幌の間は内浦湾(俗称「噴火湾」)があるため一直線には行けません。 しかも現在は函館と室蘭(もしくは苫小牧)までの定期旅客航路すらありません(だから今、森と室蘭を船で繋ぐ営業航路の計画も挙がっているくらいです)。 それがさらに、北海道新幹線開業という理屈で寝台列車すらもなくなりました。特急スーパー北斗で何時間もかけて行くか、高速バスで寝ていくか、高額ですが航空機であっという間に行くか、という選択肢です。 北海道新幹線の(渡島大野までの)部分開業は、観光産業にとっても損失だと思います。 東京と一本で繋がったといっても、それを昼行で新幹線に座りっぱなしで行くというのは苦行で、現実的ではありません。鉄道なんかより、航空機で羽田から函館空港に行った方が良いし、ましてや大阪からは伊丹や関空から行くでしょう。 寝て行けた北斗星カシオペアトワイライトエクスプレスももう無いんですから。 (寝台料金のせいで新幹線よりも割高に見えるとはいえ、こうした「走るホテル」の方がよっぽど重要な観光資源でした。)

それなのにそこまでして津軽海峡を新幹線で渡ることに固執するのは、東京至上主義の国家・政府の策謀です。 そして多くの一般庶民にはその事実が知らされていませんし、道庁は東京政府と組んでいますから、道庁も進んで推進してきました。

我々からすると、青函間は実際には遠くなりました。 夜行列車も無くされたし、新幹線との乗り換えが発生しますし、乗り換えには渡島大野(函館から24キロ)まで行かないといけません。 新幹線開業で近くなったのは現実的には三八上北から仙台までです(仙台〜大宮の途中駅は乗り換えが必要です)。あるいは、特急つがるに乗り換えて行ける秋田です。

それでも、面従腹背なのか騙されているのか、それともやぶれかぶれなのか、地元も、北海道新幹線開業を機に経済を回復させようと躍起になって騒ぎを演出しています。

観光客に依存している当地ですが、ひとりの人がもつ資金と時間は有限です。しかも今の日本人の多くは、貧困か暇無しか、その両方です。ですから、観光産業というのは「限られたパイの取り合い」という足の引っ張り合いの泥仕合の業界になっています。 だから、新幹線で繋がったことの効果も一過性で、観光客が増えることにはならないと思います(むしろもともと最大に達していると思います)。 経済を回復させるには、全社会的なファンダメンタル面での回復が、つまりは日本人のカネと暇が増えることが必要でしょう。カネと休暇があれば、あちこち観光旅行をすることなんてすぐ思いつくし可能なのですから。

今の日本は、手段が目的化していて、間違った政策を採って、社会がかえって失敗しているのです。 その事実に多くの人が気づいていなかったり騙されていたり、あるいは何を言っても政治を変えられないままでいるわけです。