函館日記

函館暮らしの日記

水戸黄門はなぜ「越後のちりめん問屋の御隠居」なのか

水戸黄門』というフィクションのテレビドラマ番組も、そのうち知らない人が増えてくるでしょうけれど、まだ有名だとは思います。

主人公の水戸黄門水戸藩徳川光圀で、「越後の縮緬問屋の隠居」という身分を騙って旅行をして、行く先々で領主の不善を糺すという話です。フィクションです。実際の徳川光圀は、収集させた情報で机上で「大日本史」を編纂しています。

さて、越後の縮緬問屋の隠居って何かっていうと、今の新潟県の、アパレル商社の元経営者ということです(笑)。

越後ってどういう処か

今「新潟県」と言われても、日本海側を「裏日本」とまで言う人すらいるくらいなので判らない人が多いのかもしれませんが、 江戸時代は日本海側の方が商業地帯なのです。

例えば、松前藩アイヌ民族などから特産品を買い叩いて、それを転売して儲けていました。 その産品を輸送する航路は日本海側です。北前船。俗には「弁財船」とまで言われていたことからも、物凄い金銭が動いていたことが判ります。 農業肥料も当時は化成肥料なんてありませんから有機肥料ですが、鰊が肥料に加工されて高額で取引されていました 干鰯 - Wikipedia 日本海航路で、産品を転売する交易を行っていたので、日本海側の方が大商業地帯だったわけです。

今でも、新潟県富山県福井県などには企業があり、経営者も多く出しています。

越後の縮緬問屋の御隠居は大金持ちである

つまり、越後の縮緬問屋の御隠居というのは、大資本の元経営者の大金持ちです。 引退後に世界旅行をしている大金持ちの暇人の変わり者というのが、水戸黄門が用意した設定です。

服装は小綺麗ですし、普通の人には見えません。 一行はのんびり入れる個室風呂があるような宿に泊まっていることから、大金を払っていると思われます。 おそらく、行く先々で、橋や関所を通るたびに大金をばらまいているのでしょう。

江戸時代には既に、身分のせいで不可能なことを除けば、銭さえあれば大概のことは可能でした。 大金持ちとなれば、一般庶民からすれば物凄く偉い人なわけで、一般庶民が水戸黄門に悩みを打ち明けてもしまうわけです。

しかし身分が明確でないと、旅行も困難だった時代です。 なぜなら幕藩体制というのは高度な地方自治で、実際には連邦国家だったからです。今で言えばEUみたいなもんです。 だから、関所が設けられていて、そのたびに身分を明かさないと入れてもらえません。 関所というのは警察権の行使であるわけで、また同時に関銭とは入国税です。

大金持ちの国際旅行ですから執事も護衛も付いていて当然で、パスポートにも越後の縮緬問屋の元経営者と書いてあるわけです。 だから通行が容易なわけです。

そして、武士ではないという設定ですから、まともな武器は持てません。 武器を持っていたら不審人物で、関所も通れないでしょう。 だから彼らは、杖や棍棒や素手で戦っているわけです。

そのカネはどこから出ているのか

水戸黄門がばら撒いている金銭の原資は何なのでしょうか?

当然ながらやはり、税でしょう。

水戸黄門がまるで正義の味方で善人であるかのように描かれていますが、 いずれにせよ税で旅行をしているのだから、行く先々で相応の行為をしないと、単なる暴君ですよ(笑)。 当然のことをしているまでなのです。

ナショナル日曜劇場

それにしても、水戸黄門が大企業の元経営者を名乗るというストーリーは、スポンサーにも合わせているように思われます。

スポンサーは松下でしたから。 松下幸之助像を描いたと言ってもよいでしょう。

あたかも「水戸黄門が身をやつして各地で不正を糺す」というフィクションは、遠回しに、スポンサーの宣伝にもなっているわけです。

偉そうな水戸黄門

プロットは毎話およそ同じです。 水戸黄門が不正を暴露して、領主が隠蔽しようとし、水戸黄門が「助さん格さん懲らしめてやりなさい」と言ってバトルになります。 領主の命令に応じた部下たちが助さん格さんにボコボコにされ、水戸黄門が「もういいでしょう」と言い、そこで印籠(薬入れ)の(徳川家の)葵紋が出てきて領主側がひれ伏します。

水戸黄門は物凄く偉そうです(笑)。 何故偉そうなのかって、徳川家だからです。身分階級の格差があるからです。

ストーリー上はまるで、コンプライアンス違反の不正をしている中間管理職が部下に命じて隠蔽をしようとして、経営者が懲戒処分を加えるという筋書きです。

しかし前記の通り江戸時代は連邦制です。 ですから、領主に命じられた部下たちは、命令通りに不正を隠蔽するわけです。

それでも徳川家の方が偉いという論理になるのは、武家社会では階層的に上下関係があり、最終的な頂点に徳川将軍がいるからです。 そしてこうした上下関係は、生まれによる(家柄による)ものだからです。

相手が徳川光圀であるとも知らず、助さん格さんにボコにされる下級武士達が、可哀想でしかたありません。 江戸時代には、今と異なり法令が完備されてはいません。 そうした状況下で上司の命令があるのですから、「倫理違反です」と言って逆らう部下の方が稀でしょう。 上下関係が厳然とした軍隊のような組織ですから、部下は逆らえません。

だから、「コンプライアンス違反の不正をしている中間管理職が部下に命じて隠蔽をしようとして、経営者が懲戒処分を加える」という論理は、江戸時代では実際には通用しないのです。 これがもし今ならば、法令や社内規定があって、大概はそれに違反したから処分が下るということになっています。

同じように、遠山の金さんとか大岡越前とかいうような裁判のありかたも、法令には書いていないことで裁判をしています。 そんなアバウトでいいのか? という恐ろしい世の中だったんですよ。

格差社会の残酷

上流武家だから偉いとか、金持ちだから偉いとか、水戸黄門もそういう格差肯定なんですよ。 安直な勧善懲悪プロットで、一般庶民の味方の水戸黄門が裁いてくれるということで、見ている一般庶民の多くは水戸黄門バンザイという立場で喜んで観ているわけです。 そうした思考停止のぬるま湯の態度でいいんでしょうか?

倫理違反だ、悪は悪だ、それはそうとして、 だからといって、悪の敵は善だという論理には果たしてなるのか?

所詮は娯楽だといえばそうなのでしょうが、マスメディアのやっていることなので批判的視点が必要だと思います。