函館日記

函館暮らしの日記

海上冬花火が始まりました

海上冬花火が、無事今日始まりました。 実質的には、観光産業と市が実施しているものです。

今年は、2月8日から同12日までの予定です。開催時間は19時40分頃から20時頃です。 もしも荒天だと中止のこともありますが、今年はおそらく全日程開催可能だと思います。

観覧場としては、摩周丸と魚市場の間の辺りです。 http://fuyuhanabi.com/access/index.html

11日と12日の土日限定ですが、摩周丸に(有料で)入館して観覧することも可能です。(通常は夜やっていません。)

海上冬花火は寒い時期なのでそれほど人気がないのですが、もしかすると土日は混むかもしれません。 路面凍結が多い時期ですので、天気によっては辛いです。10日金曜が降る予想で、土日は最高気温がプラスなので凍る可能性があります(日没頃から凍ります)。 打ち上げ花火なので見えるところならどこでも見られますが、混雑する行事があるとコンビニ駐車場などはバリケードが張られてしまうことが多いです。

箱館戦争になったのは、仙台藩の稲作依存が原因

戊辰戦争

戊辰戦争とは、薩長同盟と奥羽越同盟とが戦った戦争です。 この史実もそれほどには知られていないでしょうから、あらかじめ言っておきます*1。 「新政府軍」「官軍」とか、「旧幕府軍」「旧幕府脱走軍」などといった表現は、完全に価値観を入れ込んでおり偏向しています。

戊辰戦争とはいわば西軍 対 東北軍の戦争でした。 当初は、奥羽越、つまり北陸・東北の方が有利にも思われていました。版図も奥羽越は広かったし、石高もあったはずです。

ところが、奥羽越には資金力がなく、仲間割れ、裏切りが進み瓦解していきます。 そうして敗走を続けた榎本武揚はじめ武家たちが行き着いたところが箱館でした。

仙台藩と「蝦夷地」

さて、奥羽越でも特に広く、中心的な位置にあったのが、仙台藩(伊達家)です。版図は現在の岩手県南部から茨城県、筑波や土浦の辺りまでに及びます*2。 しかも仙台藩は、「蝦夷地」も大半を支配し、警固をしていました*3

つまり、「蝦夷地」は仙台藩の支配地、奥羽越の領土であり、奪われまいとしたし、そのホームグラウンドで抵抗したわけです。 榎本軍は何が言いたかったかというと、「蝦夷地を我々に知行しろ」、この取引のために抵抗したのが箱館戦争です。

なお、箱館の警固は、多くの時期は南部藩(現・青森県東部〜岩手県の大半)が、一時期は松前藩が担当していたようです。 とはいえ、箱館は、農業をやれるところではほぼなく、商家や漁師などが移住してきていていましたから、地元コミュニティが先に形成されていたようです。

奥羽越が敗けた原因

ところで、戊辰戦争では資金力がありイギリスから兵器を買い集めた薩長が勝ちました。 他方の奥羽越は資金力不足で兵器が足りなかったのです。

なぜ奥羽越がそんなに財政悪化していたのか。特に中心である仙台藩ですね。

仙台藩の財政悪化の原因は、稲作依存です。

仙台藩は、藩士に土地を与えて統治させ年貢を稼がせていました。禄、つまり給与制ではなかったのです。 そして、そうして藩士が稼いだ米を仙台藩が買い上げて転売して、藩政を賄っていました

そうなると、藩士は、買い上げてもらえる米をつくりたがります。稲作ばかりやるようになってしまいます。

仙台藩としても、米がちゃんと獲れれば、それを藩外に輸出してドンドン儲けられ、ウハウハです。

しかし、江戸時代後期になると、世界的な寒冷化が起こります。 寒冷化の原因は火山の噴火ともいわれていますが、とにかく寒冷化しました。 そうなると、ただでさえ寒い東北で、夏がさらに冷えるとなれば、稲は育たなくなってしまいます。虫や細菌にもやられやすくなってしまいます。

米が獲れなくなってしまったので、カネがかかるばっかりで歳入がなくなります。仙台藩の財政は危機的状況になってしまいました。 ところが、財政構造を変える術はありません。かりに藩士の土地を藩有に付け替えて禄制にしても、そもそも米が獲れないので禄を出せません。

食糧は仙台藩依存

江戸時代には、稲作が圧倒的だった仙台藩が輸出する米にかなり依存していました。 だから、東北の冷害、凶作で何が起こったかというと、大飢饉です。 天明天保の大飢饉は教科書にも書いてあるでしょう。

仙台藩の稲作依存と、全国の仙台藩への食糧依存が、大飢饉という大災害に繋がったのです。

幕末にかけて、噴火や地震などの天変地異が多発しました*4。そしてその影響で大飢饉も起こりました。 さらには、欧米がやってきました。

ちなみに、全国的な貧困と、各藩の兵器の買い付けなどで、金銀のほとんどは欧米に流出しました*5。 金銀が減って、財政も悪化して、貨幣の質は落ち、ハイパーインフレでも起こるような状態にもなっていました。

こうした政情不安のもとで統治体制を改めようとしたときに、奥羽越と薩長の東西対決という結果になったのです。

そして、奥羽越が敗北し瓦解して、榎本軍が箱館に籠もって抵抗し、「箱館戦争」になったわけです。

仙台藩その後

戊辰戦争で敗北した仙台藩ですが、藩士を大量解雇して帰農させるしかなくなってしまいました。藩が給与や身分を保障しきれない。藩士は解雇されて士族ですらなくなったりしました。

そうして帰農した元仙台藩士のなかから、「蝦夷地」→「北海道」に開拓に行く人々が多数出ました。 その開拓地の一つが、現在の「伊達市」です。

ちなみに、福島県にも「伊達市」があります。福島県の方が本家筋ですが、市政移行したのは福島県伊達市の方が後です。 福島県伊達町が市政に移行する際に「伊達市にしてもいいですか」と北海道伊達市に訊いたようですが、本家筋からお伺いを立てられても断れる立場にありませんね(笑)。

「北海道」の「開拓」「拓殖」というのは、江戸時代の和人の抗争の後始末の帰結です。 教科書やマスコミなどでは概ね美化されていますが、見ようによっては「黒歴史」ですし、アイヌから見れば侵略されたということになります。

*1:学校では日本史を真には教えていませんし、どこの教科書も刷り込みたいことしか書いていません。山川だろうが育鵬社だろうが。ましてや、学校現場でまともに教えられるわけがなく、なにせ教諭がまともに知らない考えていないうえ教える能力も足りないですから。

*2:そんなこともあり、土浦などは「南東北」と俗に言われることすら未だにあります。

*3:蝦夷地」と呼ばれていましたが、これは蔑称、つまり差別語です。

*4:和親条約(ペリー)開港2港は箱館と下田ですが、通商修好条約(ハリス)では下田が外れているのも、大地震による津波で下田港が壊滅したからです。

*5:昔は世界有数の資源大国だったのです。

滑りにくい歩き方

冬になると積雪もしますし、凍結もします。 夏の歩き方では滑ります。

滑りにくくするコツというものはあります。それでも、時々滑ることもありますし、たまに転びます。 確実に滑らない方法となると、スパイクや杖ですが、不便をおしてそこまでする人は多くはありません(しかし、年配の人の中には特によくいます)。

住んでいる者でも、たまに転びます。ひと冬に一度や数度転ぶかもしれません。 市の広報紙にも、滑りにくくするためのコツが掲載されるくらいです。

歩き方

かかとから着地してつま先に抜けるというのは、夏の歩き方です。健康や美容、スポーツ目的で通俗的に言われていますが、雪道では滑ります。

むしろつま先から入るような感覚で、足の裏全体でベタっと着地してから、つま先だけではなく足裏全体をうまく使って面で蹴り出して歩きます。 そのため、靴の裏は前方には見えず後方にばかり表れる歩き方になります。

靴底の摩擦力が高くないと滑ります。 接地面が広いことと、地面をうまく引っ掻けるようにグリップの多いことが重要です。 靴底がツルツルしているような革靴・パンプスの類や、接地面が狭いハイヒールなどは、転倒の危険が高いです。 ブーツや長靴を履いている人が多いです。

バランス

重心の低い人の方が有利です。

比較的には、男よりも女の方が一般的な傾向として有利だろうと思います。

しかし、女性は外見にこだわられる傾向があるため、靴や服装の選択次第では不利です。

長靴を履いてガニ股で歩いているオッサンの方がおそらく滑りにくいでしょう。ガニ股や長靴が習慣になっている人すら見かけます。こういうのは女性には少ないわけです。

身長が高く美容的に格好よい人の方がしばしば重心が高く転びやすかったりもします。

前後左右のバランスを直し、バランス感覚を鍛えることも必要です。 両手を空けた方がバランスがとりやすく、転んでも両手で受け身を取れます

当然ながら、バランスが歪んでいる人は転びやすいです。 姿勢が崩れていたり、歩き方におかしな癖がついていたりすると、転びやすいです。

その点では、荷物の運び方の選択次第で転びやすくなります。 背中に背負うと両手が空くのは有利ですが、前後のバランスを崩すかもしれません。 だからといっても、キャリーケースを転がすのは雪道では大変です。転がせなくて持ち上げないといけない状況が増えれば、自分の方が転がされる危険度が増えます。 冬の函館を出歩くのには荷物を減らすことを勧めます。

路面の選択

雪が積もっているところの方が、凍っているところよりも滑りません。 路面が雪で白い所の方が滑りにくいことが多く、透明に凍っているところは滑ります。

薄く透明に凍ってしまうと、氷の下が透けて見えるため、凍っていることに気がつかないおそれがあります

路面が光に照らされていれば、表面がどうなっているか判ります。 ツルツルに凍っているところと、雪が載っているところと、乾いているところの判別がつきやすくなります。

車道は、自動車に踏まれて圧雪され、表面が融けてから凍り、更に磨かれていきます。昔と異なり今はスタッドレスタイヤですから、削られることなく磨かれます。 うまくすれば早く雪や氷がなくなり乾きますが、乾かないまま夕方になってくると、表面が凍ります。 だから夜の車道は大変です。

函館は札幌や旭川に比べれば真冬日が少なく、日中にうまく融けてくれるような日ならば通行量の多い車道は雪が無くなります。反対に最高気温も低い日だと、路面が圧雪され凍ったままで終わります。

通行量の中途半端で除雪車の入らない生活道路はもっと大変です。 駐車場の出入口なども歩道なのに自動車に踏まれるので、凍りやすく滑りやすいです。

人通りの多いところも、圧雪・融雪・再凍結を繰り返すので凍りやすいです。 交差点周辺やバス停のところが、圧雪され表面が凍ってツルガタになります。

日向の方が融雪が早く、日陰の方が残ります。 早く融けて乾いた日は日向有利ですが、中途半端な陽射しや気温だと、日向は夕方から凍ってきます融けるのが遅い日はむしろ、日陰の方が雪がサクサク残っていて歩きやすいということになります日によってどちらが有利かは異なりますので、その日の状況をみて判断する必要があります

つまり、まず道を選ぶこと、そして路面をよく見ること、車道の横断時は特に注意です。

慌てるな

慌てないで落ち着いて、マイペースで歩きましょう。 周囲より遅いのを気にして慌てると危険です。

同行者が遅くても気にせず急かさないことも重要です。

慌てないためにも、信号の変わり目に駆け込むことはしない。 残念ながら、津軽の海沿いの人間の性格によるものなのかなんなのか、信号無視をする人を函館ではよく見かけますが、信号無視や無理な横断をすると転倒リスクも自動車に撥ねられるリスクも高いです。

滑ることはよくありますし、転ぶこともあります。 そういうときにはまず、落ち着くことが必要です。 可能ならば、とりあえず立ち止まって落ち着きましょう。

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〇〇管内××町

市町村と郡部

「北海道」にも、「市」のほかに「町」「村」もあります。 「町」と「村」*1が「郡」*2にあるのも同じです。

他方で、「北海道」は道州制で、「県」に相当するのは「振興局」(支庁)です。 ただ、「県」は首長公選制ですが、「振興局」は「道庁」の下部組織です。

そうすると、「町」「村」が多いのもそうですが、「郡」も多くて、町村の名を言われても何処にあるのか判らなかったり、郡の名を言われても知らなかったりということが起こります。

「管内」

そこで、「〇〇管内××町」のようにして、「振興局」の名を冠して呼ぶのが一般的です。 例えば「渡島管内八雲町」といった呼び方をします。これを「二海郡八雲町」と言われても、地元の人でなければ「フタミグンってどこ?」ってなるでしょう。 この慣例を知らずに公式な呼称である「郡」で呼んでしまうと、面倒なことになりますし、「北海道」のことをよく知らないのが露呈してしまいます。

そもそも、現在の「日本国」は「郡」に行政庁を置いていません。他方で「北海道」には地域を管轄する「振興局」があるわけですから、「振興局」を基準に呼ぶのも自然なことでしょう。

「町」「村」と異なり、「市」に関しては他の「都府県」と同じように、「北海道函館市」のように呼びます。 「市」に関しては数が少ないので、市名だけでおおよその位置が判る人が比較的多いでしょう。

「道南」と「みなみ北海道」

さて、「北海道」を4つの地域に分けて「道北」「道東」「道央」*3「道南」と呼ぶ慣例があります。 言うまでもなく、函館市は「道南」にあたります。

他方で「みなみ北海道」*4という俗称があります。

「道南」と「みなみ北海道」では何が異なるかというと、「道南」は渡島・檜山のほかに日高・胆振を含む4つの「振興局」を指すことがよくあります*5。「みなみ北海道」は檜山と渡島の2つの「振興局」(合計18市町)のみを指します。

それはそもそも、日高・胆振(日胆地域)と、渡島・檜山とでは、地理的に遠く、隔絶しているところがあるからです。 渡島と胆振が隣接していますが、境界は渡島管内長万部町胆振管内豊浦町の町境の数km程度でしかありません。*6

長万部駅函館本線室蘭本線の結節点で、函館発の普通列車も、せいぜい長万部行きがいいところで、(特急を除けば)乗換なしで室蘭方面には行けません。 その長万部すら函館市からは遠いです。それが森町ならばまだ近いという印象もありますけれど。

それに、渡島・檜山では、「市」は現在2つしかなく、その2つは函館市北斗市*7で、渡島の南側です。 ですから、人口や社会経済をみてもどうしても、渡島と胆振は遠いな、という印象があります。

しかも、「道南」の定義にはかなりの揺れがあって、ときには渡島・檜山だけを指して「道南」と呼ぶことすらあります。 安易に「道南」と呼びがちですが、実は誤解を生ずる可能性があり面倒です。

それでも、札幌中心の「北海道」や東京中心の「日本」からすると、「道南」と呼ぶのが「当たり前」ということになっていますよね。 結局のところ函館でも「道南」と呼ぶ方が一般的で、支障が起こることはそれほどありませんが、函館を出たらどうなんだとなると私はよく知りませんので気になるところです。

*1:「北海道」では、森町のみ「まち」で、他は「チョウ」、「村」は「むら」。

*2:「郡」というのは、かりに同名の「町」や「村」があっても、区別が可能なようにしているものなのです。他方の「市」は、事実上は、どの「市」も表記では同名にならないように譲り合っており、同名の「市」はありません。ちなみに以前、大阪府大阪狭山市が成立した際に、埼玉県狭山市を忘れていたのか「狭山市」と名乗ろうとして騒動になったことがありました。

*3:「道央」は、地理的中心というより政治経済的中心、つまり札幌を中央に据えています。地理的な中心に見える旭川は、「道北」にあたります。

*4:南北海道」とは書くと紛らわしいので、「みなみ北海道」と書くのが一般的です。

*5:例えば、気象情報で「道南」というと、この4つの「振興局」を指します。

*6:その町境に、鉄道ファンにはかなりよく知られている小幌駅があります。

*7:近年ようやく、大野町と上磯町が合併してできました。

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函館の歌について

地元では常識なのに観光客の多くが知らずに帰ってしまうであろうものに、「はこだて賛歌」があります。 ごみ収集車のBGMや、市電の電車接近アナウンスや車内アナウンスに採用されていますので、観光客でも聞いている可能性は高いのですが、特別なメロディーであることを知らないままなのだろうと思います。 函館出身のGLAYは歌うことがあるらしいので、GLAYファンならば知っているかもしれません。

函館育ちの人の多くは歌えるでしょう。 函館出身でなくとも函館在住であれば、メロディーだけではなく歌を聞く機会がどこかであるはずです。 いわば「市歌」同然の扱いです。しかし、多くの市町村歌が地元の人にしか知られない(さらには地元の人も知らない)のと同じようなもので、「はこだて賛歌」も函館の人以外にはそれほど知られていません。

函館には歌が多いです。

しかし函館以外の人は函館といわれると、函館の地元の歌よりも、函館をモチーフにした歌の方が先に出てきてしまいます。典型的には「函館の女」で、歌っている北島三郎*1はたしかに高校は函館でしたが、結局は商業的な流行歌でしょう。もっとも、そうした流行歌の多くですらも、かなりのファンでないともう知らないのでしょうけれども。

地元では定番であるにもかかわらず観光旅行では機会がないかぎり知らずに帰ってしまうであろう歌には、「はこだて賛歌」のほかに、「函館港おどり」「いいんでないかい」「函館いか踊りの3つがあります。この3つは、年に一度開催される函館港まつり*2のパレードで用いられますので*3、繰り返し聞くことになります。つまり、函館港まつりを狙って観光旅行に来た*4人には記憶に残っている歌でしょう。 「函館港おどり」「いいんでないかい」の2曲はパレードの第1部「函館港おどりの部」で、「函館いか踊り」は第2部のうち「子供いか踊り」と第3部「函館いか踊り」で用います。 とりわけ「函館いか踊り」は昭和後期の比較的新しい時代に創られたもので、極めて異色です。

さて、「函館の女」の2番には松風町(大門)が出てきますが、その大門にしてもかつて「大門音頭」という宣伝目的と思われる*5歌を創ったそうで、若かりし頃の加藤登紀子が歌っていたようです。 こうしたかたちで特定の地域でも歌が創られていることもあるはずですが、おそらくその多くは忘れ去られてしまったと思われます。「大門音頭」ですらも、ながきにわたって忘れられていて、近年再発掘されたそうです。

かつて、函館は札幌よりも大きかったわけですし、植民地「北海道」のいわば玄関口でした*6。 また、北洋漁業で荒稼ぎをしていた時代もありました。 今ではみるかげもありませんが、かつては全国屈指の勢いある街だったからこそ沢山の歌が創られたのでしょう。

残念ながら、こうした歌の数々は観光資源としてすら見いだされていないのだろうと思います。

*1:全国的には「函館の女」が有名でも、地元では「函館音頭」の方が人気があるかもしれません。

*2:開港記念という名目で毎年開催され、パレードは2日間あります。青森ねぶたとおおよそ同じ時期です。

*3:以前はほかの歌も用いられていたらしいですが

*4:交通規制があったり人が多かったりして観光名所巡りには困るかもしれませんが、珍しいものが見られますので面白いと思います。

*5:なにせ電通が制作したらしいのです。その電通は今でも「ご当地キャラ」とか「ご当地アニメ」とかであっちこっちでかんでいるみたいですが、昔からやっているんですねこういうの。

*6:例えば函館朝市も、交通の結節点だったからこそ、函館駅前に形成された市場です。津軽海峡を渡ってきた物や、函館本線で運んできた物が売られていた市場です。

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