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函館日記

函館暮らしの日記

抹殺された民族意識による人格の歪みについて

なんだか、「日本人でよかった」とかいう国家主義的ポスターが一部で流行らされているみたいですが、 「日本人」という民族はいません

「日本人」というのは国籍による定義ですので、民族では大きく分けて、アイヌ人と沖縄人と和人で構成されています

実際には、この3民族はそれぞれ、地域ごとに言語や慣習がいくらか異なる地域民族で構成されています。

だから、古来は例えば、樺太(カラプト)と根室と小樽と室蘭で、それぞれのアイヌ人が同じ言葉を話していたわけではなく、語彙にもいくらか差異があったはずです。 例えば、那覇首里と、宮古島と、石垣島では、言葉が異なります。広い定義では沖縄語(うちなあぐち)ですが、島ごと、地域ごとに、言葉が異なります。例えば糸満今帰仁のような陸続きであってでさえも、言葉が異なっていたようです。

そして言うまでもなく、例えば津軽人と土佐人では言葉が通じません。 通じないほどに言葉が異なるのに、「和人」というカテゴライズをしているのはなかなかの強弁だと思いますが、大化の改新以後の律令体制においてすでに「やまと朝廷」による連邦国家が成立していたとすると、「和人」というのも国籍であり、そして千年以上の期間を経て言葉や生活慣習の一部が混淆したことで一応の強引な定義が行えなくもないという程度にはなったのかもしれません。

ですから本当は、古来も現在も、「和人」というのでさえもせいぜい、広い定義での民族でしかありません

実際には、各地域で異なる民族なのです。

それで例えば、いわゆる東北地方でも、抑圧されている民族意識がくすぶり続けているわけです。 明治維新で、版籍奉還廃藩置県が行われて、連邦制が否定され、東京政府の一方的な中央集権国家がつくられました。 それで例えば、会津は、中通り浜通りと強制的に合併させされて「福島県」にされました。 例えば、南部藩は分割され、南部地方の南部は「岩手県」に、北部は津軽と合併させられて「青森県」になったのです。

戊辰戦争は、薩長と奥羽越の覇権争いでした。 奥羽越がたで最後まで抵抗した人々が箱館に立て籠もったのが、「箱館戦争」と呼ばれ、彼らは「旧幕府脱走軍」という差別のレッテルを貼られ、史実を隠蔽されてしまっています。

「北海道」と呼ばれていますが、「北海道」だけ道州制で、都府県ではありません。 それは、アイヌ人の州(和人から見ると「渡嶋」)を植民地化したから、「蝦夷地」でも「アイヌ州」でもなく、「北海道」という名称が付けられました。 そして、戊辰戦争後の後始末として、明治維新で失業した人々の受け皿(移住先で就職先)としても植民地化され、移住してきた人々でコロニーが形成されたから、 道州制で、道庁の機関である支庁(現「振興局」)は「県」ではなく、跳躍して、市町村による行政が相対的に大きくなっています。

こうした史実と経緯がありますから、「道民」の意識や「道民性」には独特のものがあり、また、市町村や地域によって出自が異なります。 言語は混淆して、厳密な意味では、北海道語(いわゆる「北海道弁」)は実際には存在しません。弘前に行けば「津軽弁」、高知市に行けば「土佐弁」があるのと異なります。本当の地域言語はアイヌ語です。 「北海道」での言葉は、いわばクレオールみたいなものです。

市町村によって形成経緯(由緒)が異なり、例えば函館は、津軽系が圧倒的に優勢です。そういう意味でも「道民」というよりも「函館人」で、そういう言語や生活習慣をもっています。

函館人にせよ、津軽人や秋田人や会津人などの、広くいえば東北人にせよ、あるいはそれ以外の地域の「日本人」にせよ、 明治政府により、国家主義、地域民族を否定して「日本人」という民族をあたかも捏造するかのようなエセ民族主義が流布されました。その流れが未だに続いていて、呪い(洗脳)が解けていないのです。

かつて、小説家で劇作家の井上ひさし(故人)が「吉里吉里人」(きりきりじん)という物語を書きました。 この話は、吉里吉里という東北地方の一地域の人々が民族意識に目覚め、日本国から独立する話です。

本当のことを言われてしまうと、国民が真実に気づいてしまうので、日本国家の権力構造が揺らぐ可能性があるかもしれないので、既得権益者からすると、こうした表現を抹殺したくなります。

吉里吉里人」はあくまでもフィクションとして井上ひさしが仮託したから、当時であれば露骨な言論封殺の対象にまではなりませんでした。戦後昭和時代の、バブル崩壊前くらいまでの一時期は、フィクションのかたちをとっていれば、本当のことを言っても弾圧はされなかったわけです。そして、本当のことを言ってくれる人を、どこかの教養人だとか資本家だとかが擁護もしてくれていました。だから、井上ひさしにせよ、例えば岡本太郎にせよ、活躍の場が、生計を立てる途が、与えられていました。 今だったら、社会の表舞台にどこまで出ていけるでしょうか。井上陽水みたいに賛成も反対もしないで我が道を行くのであれば、それもひとつの生き残り手段です。山本太郎は、拾ってくれる資本家があって、国会議員にもなれたから、まだ将来の可能性は消されてまではいませんが、かつての言論の勢いが続くかはわかりません。「美味しんぼ」は物凄い勢いで弾圧されましたし、ギャラの高いベテラン芸能人は次々にテレビから引退させられていき、権力に馴れ合っていればなんとかほそぼそと生き残れるような状況です。

江戸時代以来、政治権力は恐怖による統治を行い、強権を振るってきました。 公権力が法令を、例えば「犯罪」を一方的に定義し、刑罰を見せしめとして行って畏怖させてきました。それで例えば「万引きは犯罪です」とか「飲酒運転は法律で禁止されています」とかいって、合理的な思考や危険予測意識を奪って、「違法だからダメ」「犯罪だからダメ」という発想しかもてない、脳が萎縮した愚か者にしてきたわけです。 そうして、「長いものに巻かれる」(権力に隷従する)人間になっていき、権威権力に依存し甘える気質が完成されたわけです。

函館の政治経済も、地元資本や行政は、国政にきわめて依存的です。 (そもそも、依存しないとやっていけないように中央政府がつくってきたわけですが、例えば地方交付金とか。財源が中央政府に握られ、カネの流れが東京に握られているので、「地方」は景気が良くなる要素がありません。)

抑圧され存在否定された自己を、なんとかして回復したい、あるいは忘れたい、そういう衝動が起こります。 国家権力に依存し、地域民族意識を抹殺されたことで失われた誇り(ココロのスキマ)を、「日本人」という捏造されたアイデンティティで埋める人々が多いのです。 こうして、精神が、人格が歪み、思考行動形態がくるってしまいます。 能動的な思考行動をしなくなります。「自分の頭で考える」ことをしなくなります。自治意識が失われます。自分で考えず決めないのですから自己責任も成り立ちません。

娯楽も、喫煙も、飲酒も、賭博も、社会を直す努力や自己と向き合うことをしないで「忘れる」ために行われることが多いのです。 国家権力からしても、そうやって目を背けて忘れられるような手段を用意して、国家構造を死守してきたのです。

このように、日本国というのはきわめて歪んだ国家ですし、日本人というのは歪んでいます。 そのことに気づいていれば、日本人の思考行動パターンの奇特性は理解しやすいでしょうし、函館人の気質も解りやすいでしょうね。

五稜郭公園前に引っ越した無印良品が繁盛している

無印良品が、函館駅前の棒二森屋アネックスから、五稜郭公園前電停正面のシエスタ(Share Star)函館に引っ越しました。 https://www.muji.com/jp/flagship/share-star-hakodate/
見てきましたが、とても繁盛していました。

棒二森屋アネックスに入っていた頃は空中店舗でしたが、国外観光客をはじめそこそこ来店客はありました。
それが、五稜郭公園前だと観光客の来店は減りますが、そもそも無印良品は若中年層の中高所得者向けの店なので、貧困と高齢化の進む函館山寄りよりも、五稜郭公園前(本町)の方が客層が合っていますよね。客層からいっても、棒二森屋よりも丸井今井の方が一致しています。
そして、シエスタの1〜3階を借りたので増床したことになりますが、1階に出店していることの客寄せ効果は多大です。五稜郭公園前電停すぐなので、一等地です。一等地に出店しても採算が取れるという計算が合ってのことでしょうが、それだけの売上がある店って、不況と社会衰退のなかでは限られますよね。無印良品は高価格高粗利なので、ブランドイメージに合ったリッチな立地になったと思います。ただ、従業員からすると、忙しすぎるのが現状だと思います。
店内も、無印良品らしく陳列にこだわった余裕のあるつくりで、小さな心斎橋店みたいな印象を受けました。かなり力を入れているようです。店舗面積が広いので、カフェや書籍コーナーまでつくれましたしね。
札幌ばかりに集中している世の中で、札幌よりも函館に力を入れてきた無印良品のコストパフォーマンス感覚と思い切りの良さは大したものだと思います。

課題は、今後も集客を保てるかどうかですね。
もしも売上が目減りしたら、テナント費がかさんで苦しくなるでしょうから。

ちなみに、ブランドイメージがそれほど高くないような店であれば、本町よりも、より北の新興地の美原や昭和の方が向いているものと思われます。
無印良品だから、自動車で買い物に行かない人も顧客層で、駅前出店が多いのでしょうね。

同時期の新築物件でも、函館駅前のキラリスとは好対照で、シエスタの方は商業的には成功したという印象があります。
ただ、同じ本町でも、人目につきにくいと悲惨なようで、飲食店ビルの「五稜郭ガーデン」なんかは閑古鳥鳴いているらしいですけれどね(このペースでいくとそのうち、ネット上で「ヤバイ」とネタになりだしそうな気がします)。

【函館マラソン】都市型マラソンの意義が解っていない人々

今年の函館マラソンは、定員を満たして応募を締め切るまでに、随分と期間がかかりました。

応募が進まない原因として主催者は、今年は応募受付開始を早めたのに対して、宿泊施設が不足していた(一般の宿泊予約受付開始日が来ていなかった)からだ、と言っています。
かりにそうだとしても、容易に予測可能なことをなぜ判らなかったのか、という疑問をもつはずです。
実際には、判っていてやったのでしょう。宿泊斡旋を取りまとめるJTBの売上に繋がるからです。そして、用意していた客室が足りなかったということはもちろんですが、宿泊を斡旋してもらうつもりがない応募層がそれなりにあるということがあるからでしょう。
強引な営業手法です。

マラソン大会を開催しても大概は赤字ですので、スポンサーが稼げるようにあの手この手を尽くすのでしょう。
それは函館に限ったことではありません。
だから、スポンサー優遇を必要悪だと思う人も多いでしょう。

しかし、問題の本質はそこではなくて、大会が、参加者本位になっていないというところにあります。

例えば、今年も、おそらく強風を受けるであろうコースのままです。ともえ大橋と中央埠頭跨線橋を往復しますし、市道高松新湊線(戸井線(鉄道未成線)路盤跡の転用道路)はおそらく向かい風を受けることになるでしょう。
函館は海上都市です。そして、かなりの確率で西風、たまに東風。ともえ大橋は横風で、戸井線は往復の一方が向かい風です。
それでは、記録を狙えません。とりわけ、ともえ大橋と中央埠頭跨線橋の往復が苛酷です。

さらにいえば、七財橋付近の石畳が走るのに向いていません。
これは、金森赤レンガ倉庫群の前をはじめ、東浜桟橋、つまり旧桟橋付近をコースに入れるためだろうと思われます。そして、金森赤レンガ倉庫群前が石畳なのです。

記録は狙えず、さらに、天気によっては修験道の域に達するような苛酷なコースなので、相応のマゾヒストや修験者くらいでないと走りたがらないでしょう。
本来のフルマラソンは練習すれば多くの人が完走自体は可能なスポーツなのに、主催者や道南陸協はマラソンに偏見でもあるのでしょうか*1

観光目当てとしては、旧桟橋付近くらいしか名所がないコースです。
五稜郭公園をかすりもしませんし、元町も十字街も通りません。
見どころは景色くらいかもしれません。

記録を狙えないし、観光にもならないとなると、参加者の目当ては何になるのでしょうか。
それは、食べ物目当てです。
だから、参加者の主催者に対する反応・要望の多くが、エイドで出る食べ物です。
それで、昨年は食べ物の多くが終盤の「緑の島」に集中していたため、遅い参加者は目当ての食べ物にありつけなかったので苦情が出ました

しかも嘆かわしいことに、支給される食べ物の目玉が、函館や道南にかすりもしない夕張メロンです。
スポンサーに果物屋があるのはいいとして、ウリが、七飯町のりんごとかでなく、夕張メロンというのは、的外れもいいところです。
正直に言って函館と関係無い夕張が出てくるのは、世間が十把一絡げに北海道を都府県並みに思っていることに合わせた自虐ネタなのでしょうか?


何故悪いコースのままなのか、原因を思うに、交通規制を可能なかぎり少なくしたいからでしょう。

では、何故、交通規制を少なくせねばならないのでしょうか。
それは、マラソン大会開催についての地元コンセンサスが足りないからです。
観光産業でさえも、交通規制をかけられて迷惑だと思っている業者があるくらいでしょう。

何故コンセンサスが得られないかというとそれは、参加層が狭いからです。

例えば、五稜郭祭や港まつりなどでは毎年交通規制をかけていて、港まつりの交通規制に至ってはきわめて大規模です。しかし、実際に行われているのです。
何故行えるのか、ひとことで言えば、「誰にも関係がある」と思われているからです。

他方の函館マラソンは、参加層が狭く、一部のランナー(それとマゾヒスト?)くらいにしか関係が無いと思われているわけです。
だから当然に「マラソン大会なんかで交通規制をかけられて迷惑」という苦情が出ます

だから例えば、10kmの部やファンランの部を設けるなどして参加者の裾野を広げれば、交通規制をかける理由になるのですよ。
それは、港まつりが、誰でもパレードに出られるから交通規制をかけてかまわない、というのと同じ論理です。

そして実際に、参加者層が厚ければ、地元住人の福利厚生につながります。例えばファンランの部があれば、歩いて完走も可能です。反対に、現状のように、従来のハーフマラソンと、それを拡張した「なんちゃって」(エセ)都市型フルマラソンでは、参加可能な人がとても限られます。
地元住人の多くの福利厚生になれば、少々赤字でも構わないという理由になりますし、市が実質的な主催者になってよい理由になるのです。
港まつりであんなにいか踊りやっている人々だから、ファンランやれば根付くと思うのですよ。それに、ファンランがあれば観光客がついでに参加もしますよね。

端的に言いましょう。
「都市型マラソン」とは、デモクラシーです。デモクラシーとは、利害関係者の誰もが参加する(参加しうる)ということです。他方の日本社会というのは、一部の人間だけでものごとが決められ、社会が回されています。
つまり、特別な人(トップアスリート)だけが参加可能だったマラソン大会と異なり、ほぼ誰でも参加可能なマラソン大会です。だから、仮装などしておまつり騒ぎをする大会もあるように、マラソン大会が住人のいわば誇りになっていて、祝福されるべきものであるわけですよ。

他方の函館には真のデモクラシーが無いから、都市型マラソンの意義だって解らないわけですよ。
函館の「民主主義」というのは要は、近世・近代日本型の資本主義、社会経済本位の思想です。だから当然に、地元資本が優越し、カネの論理でものごとが動かされます
そして、封建的、儒教的、権威主義的で、港まつりや五稜郭祭のように権威が音頭を取って始めたものは尊重されます*2。他方で、社会の既成構造に悪影響の出ることは疎まれ嫌われます。

そして、「函館とはこういうところだ」とか「日本人とはこういう連中だ」とか、よそからは思われていますよ。
その恥を知らないといけないと思います。

*1:フルマラソンをまともに走ったことのない人(駅伝とか走っている人)が運営しているからなのでしょうし、まともに走ってきた人の意見を封殺しているからでしょう。大会運営に協力しているよその企業なども口出しが困難だし、また、よその人は地元の天候風土には疎いのでコースがどうなるかを熟知していないのでしょう。だから昨年は、強風を想定したコース設定や運営準備だってしなかったわけですよ。

*2:ためしに道南陸協のウェブサイトでも見てくださいよ。北海道陸協や札幌陸協と見比べてください。酷いですよ。ウェブサイトくらいつくれる人は沢山いるはずなのに未だに酷いのは、つくれる人を参加させないで、狭い身内で回しているから。函館高専の学生とかにでも頭下げてやってもらえればいいのにねえ。そして、地元議員の名をでかでかと連ねているように、権威主義。そのレベルの人しか陸協の中に居ないってこと。これはどっかの村でしょうか。

「道道 立待岬函館停車場線」という黒歴史

立待岬函館停車場線」という道道都道府県道)があります。その名を聞けば、函館駅前から立待岬に行けるのだろうと思うはずです。

函館駅前から十字街までは、国道(通称・海峡通)と重複しています。 そして十字街を左折します。 ここまで来れば道なりに青柳町、谷地頭を経由して立待岬に行けるものと思う人が多いと思います。

ところが、高田屋嘉兵衛像のところで右折して「護国神社」のところに上り、さらに函館山登山道路に入ります。

そうです。立待岬函館停車場線の正体は、函館山登山道路です。

しかし、函館山には登れても、立待岬には行けません。 なにせ、つつじ山駐車場から先は、一般車両通行止です。

では、つつじ山駐車場のバリケードの先、徒歩で進行したらどうなるかというと、千畳敷までは北電(北海道電力)の業務用車両も走る未舗装路です。 しかし、千畳敷から先、立待岬に下りるには、登山路です。つまり、山道です。

つまり、立待岬函館停車場線は、未開通(未供用区間あり)のまま、名称を改めることもなく、放置されています


函館山は戦時中までは「津軽要塞」という軍事拠点の一部でした。一般人は入ることも許されませんでした。

戦後に、軍事用の道路を基に、観光登山用道路を敷設しました。これが、函館山登山道路です。 そして景気の良かった頃に、自動車での観光登山が増えました。 そうすると、現行の函館山登山道路では通行量をとてもとても捌ききれなくなってきます

そこで、現行の道路を登山専用にし、下山専用の道路を別途敷設して、一方通行にする計画が立てられました函館山に登った観光客がそのまま立待岬方面に下り、立待岬や碧血碑などを見て周るという想定の道路計画です。 観光産業と密着している市が計画を推進し、道庁に同調してもらって「道道」として指定をもらうという既成事実までつくって、工事を進めようとしました。

ところが、開発の手が既に入りすぎている函館山に、さらに開発の手が入れられるとなると、生態系への致命的な破壊が起こることが容易に推測されます。 それで、いわゆる環境保護運動からはもちろんのこと、公園関係の団体からも反対され、市も遂に計画断念。

そして、棚晒しで名称だけは放置されて現在に至るのです。

おそらく遠い将来も、「立待岬函館停車場線」が全面開通することはないでしょう。

そうして現在は、夜景目当てに混雑する夕方から夜間にかけては、旅客運送車両、いわゆるバスやタクシー、言い換えれば第2種運転免許の車両のみに通行を許すという交通規制をかけています。 また、観光バスの山頂付近の駐車場利用時間に規制をかけて、回転率を高めています。 もっとも、それでも夜間の函館山登山道路の混雑、渋滞は酷いのですけれども。


さて、この「立待岬函館停車場線」という経路も、無理があったと私は思います。

なぜならば、夜景を見に函館山に登った観光客が立待岬に、寄りませんよねきっと(笑)。 昼に登る人を想定していたのだと思います。

しかし今は実際には、昼に函館山に登る人は比較的少なく、夕方から大混雑します。

おそらく往時は、夜は今以上の大混雑で、昼にまで人が溢れ出てきていたんだろうと思いますね。だからこんな計画を思いついたのかと。

もうひとつの無理は、立待岬から青柳町方面までに極端に増加するであろう交通量をうまく流せる道路を敷けるか、ということです。

そして、もしも「立待岬函館停車場線」が成立していたら、宝来町から松風町の間の、市電の旧・東雲線の道路も大混雑しただろうと思います。 その点でも、交通量を捌けたのでしょうか。 なにせ、道路の中央を路面電車が走っていたわけですよ?


では、計画頓挫で函館山の生態系は保てたのかといえば、そうではありません

そもそも、戦前までも、函館山は麓から(木材や燃料目当てで)ずんずん木を伐ってしまいましたし、軍事拠点にするために建築物をつくったりもしていました。 (砲台を建てるために山頂を削ったから函館山の標高が低くなったというのも、知る人ぞ知る有名な話です。ちなみに、その砲台跡の上に展望台を建てたということも……)

裸になってきた函館山に、替わりに植えたのは杉です。 (昔は、現在の函館西高の辺りにあったが、谷地頭の現在地に移転した)函館八幡宮の境内という理屈もあってなおさらに、杉が植えられました。 こんなのは人間の信仰の一種で、エゴイズムなのですが。 だから、現在の函館山は自然植生とかなりかけ離れています函館山の麓付近、下半分の鬱蒼とした杉林は、人工林です。人が杉を植えたんです。植えたくせに、伐って植え替えたりしないので、高木がボウボウで薄暗いです。函館山に限ったことではないですが、日本人はこのように、後始末をしない無責任な人間です。

また、函館市街の人間の活動を利用して、カラスが増殖してきました。 そのカラスの根城になっているのがまた、函館山です。 現在の函館山で人の行き来が多いのは、函館山登山道路と旧登山道くらいなもので、その他の登山道には登山者が少し通るくらいでしかありません。 立待岬函館停車場線」が頓挫してなおさら、千畳敷方面は、登山コースの一部でありながら、カラスの巣窟です。人を襲うかもしれないくらいです。

しかし、市のやっていることは、維持であって、回復ではありません。 要は、現状維持です。 実際、市役所どころか、地元住人も、現状をただしく理解していないと思います。 私にはふざけていると思えますが、市は「函館山の豊かな自然」とか、のたまいます。

だから、杉林を植え替えるとか、カラスを駆逐するとか、そういう回復策はとられていないも同然です。 むしろ、ヘタに環境保護のための規制をかけてしまったために、手出しが全く不可能になったといえます。

「新幹線開業効果」のような、景気の悪さと受動的な思考

北海道新幹線」が開業して渡島大野新函館北斗)に新幹線が来て1年が経つところです。昨年の三郎の日のダイヤ改編と合わせて新幹線が動き始めました。

「新幹線開業効果」という語彙は盛んに用いられていて、なにかにつけて「北海道新幹線開業記念」という冠を付けて騒いできました。

「新幹線開業効果」ですが、これほどまでに宣伝してマスコミ露出を増やしたのですから、あって当然ですよね。どれだけのカネがデンパクに動いたんだろうかと思うとゾッとします(笑)。

新幹線開業ということであちらこちらで騒いだから、これをきっかけに函館に来る人(来函者)は増えました。 しかしそれからどのくらいの割合が今後また来るのかって問題ですよね。

函館駅前の現状

実際には、函館駅前は、青函連絡船が無くなった時点でも経済縮小していますが、新幹線開業を口実にして急行はまなす北斗星などの夜行列車も無くなったことでトドメを刺されました。

廃業したWAKOデパートの跡地に「キラリス函館」という高層ビルが建てられました。故あって竣工が後れ、部分開業が昨年の夏になりましたが、全面開業はテナントが入らないので遅らせるようです。 ビルがスカスカだからなのか公共事業の一環か何がやりたいのか解りませんが、市は「はこだてみらい館」というのを「キラリス」の中に設けたものの、想定の4分の1という凄い動員数で推移しています。実際に、私も行ったことがないのですが。 駅前を、観光客だけのものにせず、住人の場や交流の場にしたいという思いつきなのでしょうが、どちらかというと、それを口実に高層ビルの建築を推進してガラガラのところを埋めようという魂胆なのだろうと邪推せざるをえないくらいです。

函館駅前という海に挟まれた砂州に高層ビルを建てるというのが既に異常で、風土に、自然法則に逆らっているといえます。 そのうえに、「キラリス」は外観の設計が悪くて、気軽に奥まで入れるような雰囲気ではありません。オフィスビルなんかとすら思えます。実際には高層部が住宅なんで、似たりよったりですが。 道路挟んで隣の棒二森屋別館(ボーニ・アネックス)の方がボロボロなのに、好対照です。ボーニアネックスは入りやすいし、冬なんか、暖まりによく入ります(笑)。

そのボーニアネックスにしても、無印良品が入っているのですが、五稜郭公園前、つまり本町(ホンチョウ)に引っ越すらしいですね。観光客目当てにすれば結構売れていた無印良品なんですが、そういうのは本意では無かったのでしょうね。 地元の人が多く集まるのは、繁華街では本町で、丸井今井もまだあります棒二森屋よりはボロくなくブルジョワな雰囲気です。 地元の買い物は、美原や昭和のような旧亀田市の住宅地の近くが主で、自家用車でまとめ買いする群れがいるのですよね。イトーヨーカドーとかメガドンキとかユニクロとか、ヤマダとかケーズとかベストとか、そっちですもの。強いていえばさらに、五稜郭駅五稜郭公園ではないです)の近くのポールスターショッピングセンターとか。

ボーニアネックスには、新幹線開業に釣られたか、ミニプラが入りはしました(昔のソニープラザですよね、あれはたしか)。 あと、期間限定(超限定(笑))で、東急ハンズが入るみたいです。 東急ハンズは札幌にはありますが、函館に出てくるコストは大きく、他方で函館にはイエローグローブ(小笠原)とホーマックがありますから、勝算はあんまりないと思います。契機がどんなもんなのか様子を見に来るんだと思います。

函館駅前の整備も、色々と後れています。駅前の商店街(都心商店街)のアーケードを撤去しましたが、その後の共同溝工事は遅々としか進めておらず、アーケードの下だからこそのタイル舗装が今や積雪期には滑ること滑ること(苦笑)。 共同溝工事と合わせてアスファルトにでも貼り直す気なんでしょうが、何年間タイルで放置する気なのか。しかも、閉業した店先など雪かきされずに放置とかあるし。

ICカード今月導入(遅すぎる)

ICAS nimoca」(イカすニモカ)が今月から運用開始されます。すでに販売は始まっているようです。 市電と函館バスで使えます。「交通系ICカード」なので、相互運用の利により「電子マネー」にもなりはします。

遅すぎます。 単純に考えて、新幹線開業時か、それに先立って導入されていなければおかしいですよね。

JR北海道Kitacaを導入してこないのも異常です。本業で収益が上がらず、資金運用が主な収益だった上に、事故や不祥事件(点検不正)を起こしたことで安全強化策に予算を充てるということで経営縮小が加速しているので、Kitacaが来ないのも、「並行在来線」とかいって江差線を3セク化したのも、むべなるかなというところですね。

電子マネー」の利用自体は函館でも、大手コンビニではとっくに普通に使えましたし、近年ようやく観光客向けの主要店舗に導入が進みました。 つまり、順序が変です。

かりに、特別デザインのICカード売って、データ書き込んで一日乗車券として使えたりしたら、とても売れると思うんですけどね(実際には無いです)。

詳細、蓋を開けたら、乗継割引すら「ICAS nimoca」でないと受けられないらしいです。 KitacaとかPASMOとかICOCAとかmanacaとかではダメらしいです。 乗継やるのは地元住民だけだからいいということなのでしょうかね。ICカードにするだけでも現金よりは便利なんですけど、ICカードへの移行をそこまで優遇したいのでしょうか。 まあ、貧困ですから、優遇しないと現金にする人は少なくありませんし、優遇すると言われるとケチの性根がうずくわけですが……

観光客依存と国策受動の限界

日本は貧困と経済縮小が進んでいますから、有所得者は暇が無いでしょう。 貧困層は、精神衛生上は旅行をした方が善いのに、遣うカネがそもそも無いので、旅行すら困難です。さらには今や、「貧困は自己責任」と言って低所得者を苛めるのが道徳として行われていますよね。 景気悪くて当然でしょう。

一時は、上海とかの中国の勢いがあったのもあり、国外からの観光客が増えましたが、もう既に頭打ちになっていると思います。中国などが膨張したのも日本が産業を輸出したからで、その日本がもう貧しいですから、限界は見えています。 そもそも中国を含め東アジアの中国文化圏は日本も含めケチですので、偉い人には高価な土産物を貢ぎますが、それ以外は概ねケチります。一部の成金は「爆買い」とかするらしいですが、その一部に甘えていて成り立つのは一部の業者だけだと思います。

つまりそれは、華人韓人だけではなく、日本人も同じです。一部の高所得者にくっついておこぼれをもらうトリクルダウンで成り立つ業者は限られています。 例えば、長期滞在用宿泊施設が函館にもいくつかありますが、先行したところはそこそこ人気があるようですが、新幹線プチバブルに騙されて思い付きで建てて痛い目にあっている宿泊施設もあります。 資産家目当てにしても限られたパイの奪い合いです。高級ホテルで生き残っているのは限られます。国外からの観光客(インバウンド)目当てに従業員のマルチリンガル化を進めて、施設の改装はケチって、しぶとくしぶとく採算を保っているタフなホテルもあります。他方で、プチバブルを契機に身売りするホテルもあります。取り壊す余裕がある内に廃業したホテルもあります。ビジネスホテルの需要も限界があり、むしろ事業が札幌や東京中心になって函館が干からびてきています。たぶん旭川に取られていっています。

日本人の多くがそうで、多くの地域の人がそうなんですが、観光客がカネを落としていってくれることには大層喜ぶんですね。 けれど、移住してくるとなると注文が多いんですね。資産や信用がないと、移住は難しいです。四国だとかの島国根性のところとか、どっかの山奥もそうですが、かつて最先端の都会だった函館ですら、すっかりこのような老害化が起こっていると思うのですよね。(開港は伊豆下田と同期で、横浜や神戸より先ですから。)

ただでさえ、函館人は、訛っていたり、粗暴だったり、喫煙率が高かったりだから、やって来ても自ずと疎外されがちなんですよ。 先に住んでいる人間は、現状を変えたくない、自分の社会状況を変えられたくないわけでしょ、日本人にせよ、アメリカの開拓農場主にせよ、さ。 日本は儒教国家ですから、先輩風吹かせるとか、上司や経営者が偉いとか、いろいろギスギスしていますよね。

受け入れる側が意識的にへりくだってでも移住を頭下げて雇用まで用意してでも歓迎しないと、状況は変わらないと思いますよ。土地は売れないほど余っていますから、それで思い切ったことするのか、それとも廃墟になりたいのか。

函館市は急速に人口減が進んでいます。 それは、もともと定住している人が多くはない都会だったからだし、若年層の多くは札幌や東京に逃げてしまいます。職がないので食がありません(苦笑)。きょうび、農業ですら食っていけないくらいなのに、農家の少ない旧函館市はどうやって食っていくのかって、観光産業とイカ釣りばっかりなんだと思います。 人口流出と自然減(人は普通に死ぬ)で、人口は減ります。少子高齢化が原因なのではなくて、人口流出が原因です当然。 事実上の国策で、東京や札幌の一極集中は進んでいます。首都機能を分散するという政策は民主党政権の頃くらいでしょうか。 函館もさびれてきていますが、渡島檜山地方を見回すともっと酷い目に遭っている地域は沢山あります。人口増を期待していいのは、北斗市七飯町あたりくらいでしょうか。

普通に考えて(笑)、雇用が足りないので、函館に移住するのは困難です。コンビニバイトとかならありますが、最低賃金クラスで、その最低賃金がですね、北海道は、凄いです(笑)。 冬の生活費のかかり方も凄いです。暖房費を減らしたければ、そういう住宅に住まねばなりません。 一戸建てなんか買ったら、維持が大変です。 暇で裕福なら雪かきなんてやればいいだけだろと思うんですが、貧困だとそうはいきません。貧困と高齢化で、雪かきもしてない健康状態が悪いんだろうな、とおぼしき老朽家屋も散見されます。そこそこの確率で共産党のポスターが貼ってあります。 貧困構造で、トリクルダウン(笑)なんだろうな。

遣うカネが無いんで、経済が死んでいるんですよ。 資産家がカネを持ってきてくれるという甘えでは続かないんですよね。 貧困が無くなって、遣うカネがあって、かりに人でも雇ってでも雪かきさせられたら、凄い経済効果だ。 しかし、そういう些事に応分の報酬が出されるようにして雇用をぶんぶん回すという発想は、日本人には、無いですよね。かりにそういう発想があったら、ボランティアなんか無くて、皆裕福ですよ。介護職にせよこんな苦労してませんよね。

当然ながら、低所得者や無所得者はどんどん増えています。 この層が、遣うカネをもっていないと、経済は保てない。貧困層は社会から疎外され切断されて、いないのと同じことにされてしまいます。 貧困層はどんどん拡大していますから、他方の経済社会はどんどん縮小しています。 花粉アレルギー保有者がいよいよ過半数になりそうらしいですが、そのうち貧困層過半数になるのかもしれませんね。 それでも杉林の抜本的策がとられるどころか、杉は人が植えたので人災ですという事実すら隠蔽されているくらいですから、貧困と経済縮小がどうなるかも想像がつくように思います。

それでも、金持ちと国に甘え続けるんでしょうか。 甘えてきたから飼い殺しにされて、甘えるほどにカネが無くなって人が居なくなっていっているのですが。