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函館日記

函館暮らしの日記

【函館マラソン】都市型マラソンの意義が解っていない人々

地域社会

今年の函館マラソンは、定員を満たして応募を締め切るまでに、随分と期間がかかりました。

応募が進まない原因として主催者は、今年は応募受付開始を早めたのに対して、宿泊施設が不足していた(一般の宿泊予約受付開始日が来ていなかった)からだ、と言っています。
かりにそうだとしても、容易に予測可能なことをなぜ判らなかったのか、という疑問をもつはずです。
実際には、判っていてやったのでしょう。宿泊斡旋を取りまとめるJTBの売上に繋がるからです。そして、用意していた客室が足りなかったということはもちろんですが、宿泊を斡旋してもらうつもりがない応募層がそれなりにあるということがあるからでしょう。
強引な営業手法です。

マラソン大会を開催しても大概は赤字ですので、スポンサーが稼げるようにあの手この手を尽くすのでしょう。
それは函館に限ったことではありません。
だから、スポンサー優遇を必要悪だと思う人も多いでしょう。

しかし、問題の本質はそこではなくて、大会が、参加者本位になっていないというところにあります。

例えば、今年も、おそらく強風を受けるであろうコースのままです。ともえ大橋と中央埠頭跨線橋を往復しますし、市道高松新湊線(戸井線(鉄道未成線)路盤跡の転用道路)はおそらく向かい風を受けることになるでしょう。
函館は海上都市です。そして、かなりの確率で西風、たまに東風。ともえ大橋は横風で、戸井線は往復の一方が向かい風です。
それでは、記録を狙えません。とりわけ、ともえ大橋と中央埠頭跨線橋の往復が苛酷です。

さらにいえば、七財橋付近の石畳が走るのに向いていません。
これは、金森赤レンガ倉庫群の前をはじめ、東浜桟橋、つまり旧桟橋付近をコースに入れるためだろうと思われます。そして、金森赤レンガ倉庫群前が石畳なのです。

記録は狙えず、さらに、天気によっては修験道の域に達するような苛酷なコースなので、相応のマゾヒストや修験者くらいでないと走りたがらないでしょう。
本来のフルマラソンは練習すれば多くの人が完走自体は可能なスポーツなのに、主催者や道南陸協はマラソンに偏見でもあるのでしょうか*1

観光目当てとしては、旧桟橋付近くらいしか名所がないコースです。
五稜郭公園をかすりもしませんし、元町も十字街も通りません。
見どころは景色くらいかもしれません。

記録を狙えないし、観光にもならないとなると、参加者の目当ては何になるのでしょうか。
それは、食べ物目当てです。
だから、参加者の主催者に対する反応・要望の多くが、エイドで出る食べ物です。
それで、昨年は食べ物の多くが終盤の「緑の島」に集中していたため、遅い参加者は目当ての食べ物にありつけなかったので苦情が出ました

しかも嘆かわしいことに、支給される食べ物の目玉が、函館や道南にかすりもしない夕張メロンです。
スポンサーに果物屋があるのはいいとして、ウリが、七飯町のりんごとかでなく、夕張メロンというのは、的外れもいいところです。
正直に言って函館と関係無い夕張が出てくるのは、世間が十把一絡げに北海道を都府県並みに思っていることに合わせた自虐ネタなのでしょうか?


何故悪いコースのままなのか、原因を思うに、交通規制を可能なかぎり少なくしたいからでしょう。

では、何故、交通規制を少なくせねばならないのでしょうか。
それは、マラソン大会開催についての地元コンセンサスが足りないからです。
観光産業でさえも、交通規制をかけられて迷惑だと思っている業者があるくらいでしょう。

何故コンセンサスが得られないかというとそれは、参加層が狭いからです。

例えば、五稜郭祭や港まつりなどでは毎年交通規制をかけていて、港まつりの交通規制に至ってはきわめて大規模です。しかし、実際に行われているのです。
何故行えるのか、ひとことで言えば、「誰にも関係がある」と思われているからです。

他方の函館マラソンは、参加層が狭く、一部のランナー(それとマゾヒスト?)くらいにしか関係が無いと思われているわけです。
だから当然に「マラソン大会なんかで交通規制をかけられて迷惑」という苦情が出ます

だから例えば、10kmの部やファンランの部を設けるなどして参加者の裾野を広げれば、交通規制をかける理由になるのですよ。
それは、港まつりが、誰でもパレードに出られるから交通規制をかけてかまわない、というのと同じ論理です。

そして実際に、参加者層が厚ければ、地元住人の福利厚生につながります。例えばファンランの部があれば、歩いて完走も可能です。反対に、現状のように、従来のハーフマラソンと、それを拡張した「なんちゃって」(エセ)都市型フルマラソンでは、参加可能な人がとても限られます。
地元住人の多くの福利厚生になれば、少々赤字でも構わないという理由になりますし、市が実質的な主催者になってよい理由になるのです。
港まつりであんなにいか踊りやっている人々だから、ファンランやれば根付くと思うのですよ。それに、ファンランがあれば観光客がついでに参加もしますよね。

端的に言いましょう。
「都市型マラソン」とは、デモクラシーです。デモクラシーとは、利害関係者の誰もが参加する(参加しうる)ということです。他方の日本社会というのは、一部の人間だけでものごとが決められ、社会が回されています。
つまり、特別な人(トップアスリート)だけが参加可能だったマラソン大会と異なり、ほぼ誰でも参加可能なマラソン大会です。だから、仮装などしておまつり騒ぎをする大会もあるように、マラソン大会が住人のいわば誇りになっていて、祝福されるべきものであるわけですよ。

他方の函館には真のデモクラシーが無いから、都市型マラソンの意義だって解らないわけですよ。
函館の「民主主義」というのは要は、近世・近代日本型の資本主義、社会経済本位の思想です。だから当然に、地元資本が優越し、カネの論理でものごとが動かされます
そして、封建的、儒教的、権威主義的で、港まつりや五稜郭祭のように権威が音頭を取って始めたものは尊重されます*2。他方で、社会の既成構造に悪影響の出ることは疎まれ嫌われます。

そして、「函館とはこういうところだ」とか「日本人とはこういう連中だ」とか、よそからは思われていますよ。
その恥を知らないといけないと思います。

*1:フルマラソンをまともに走ったことのない人(駅伝とか走っている人)が運営しているからなのでしょうし、まともに走ってきた人の意見を封殺しているからでしょう。大会運営に協力しているよその企業なども口出しが困難だし、また、よその人は地元の天候風土には疎いのでコースがどうなるかを熟知していないのでしょう。だから昨年は、強風を想定したコース設定や運営準備だってしなかったわけですよ。

*2:ためしに道南陸協のウェブサイトでも見てくださいよ。北海道陸協や札幌陸協と見比べてください。酷いですよ。ウェブサイトくらいつくれる人は沢山いるはずなのに未だに酷いのは、つくれる人を参加させないで、狭い身内で回しているから。函館高専の学生とかにでも頭下げてやってもらえればいいのにねえ。そして、地元議員の名をでかでかと連ねているように、権威主義。そのレベルの人しか陸協の中に居ないってこと。これはどっかの村でしょうか。

「道道 立待岬函館停車場線」という黒歴史

経済 観光

立待岬函館停車場線」という道道都道府県道)があります。その名を聞けば、函館駅前から立待岬に行けるのだろうと思うはずです。

函館駅前から十字街までは、国道(通称・海峡通)と重複しています。 そして十字街を左折します。 ここまで来れば道なりに青柳町、谷地頭を経由して立待岬に行けるものと思う人が多いと思います。

ところが、高田屋嘉兵衛像のところで右折して「護国神社」のところに上り、さらに函館山登山道路に入ります。

そうです。立待岬函館停車場線の正体は、函館山登山道路です。

しかし、函館山には登れても、立待岬には行けません。 なにせ、つつじ山駐車場から先は、一般車両通行止です。

では、つつじ山駐車場のバリケードの先、徒歩で進行したらどうなるかというと、千畳敷までは北電(北海道電力)の業務用車両も走る未舗装路です。 しかし、千畳敷から先、立待岬に下りるには、登山路です。つまり、山道です。

つまり、立待岬函館停車場線は、未開通(未供用区間あり)のまま、名称を改めることもなく、放置されています


函館山は戦時中までは「津軽要塞」という軍事拠点の一部でした。一般人は入ることも許されませんでした。

戦後に、軍事用の道路を基に、観光登山用道路を敷設しました。これが、函館山登山道路です。 そして景気の良かった頃に、自動車での観光登山が増えました。 そうすると、現行の函館山登山道路では通行量をとてもとても捌ききれなくなってきます

そこで、現行の道路を登山専用にし、下山専用の道路を別途敷設して、一方通行にする計画が立てられました函館山に登った観光客がそのまま立待岬方面に下り、立待岬や碧血碑などを見て周るという想定の道路計画です。 観光産業と密着している市が計画を推進し、道庁に同調してもらって「道道」として指定をもらうという既成事実までつくって、工事を進めようとしました。

ところが、開発の手が既に入りすぎている函館山に、さらに開発の手が入れられるとなると、生態系への致命的な破壊が起こることが容易に推測されます。 それで、いわゆる環境保護運動からはもちろんのこと、公園関係の団体からも反対され、市も遂に計画断念。

そして、棚晒しで名称だけは放置されて現在に至るのです。

おそらく遠い将来も、「立待岬函館停車場線」が全面開通することはないでしょう。

そうして現在は、夜景目当てに混雑する夕方から夜間にかけては、旅客運送車両、いわゆるバスやタクシー、言い換えれば第2種運転免許の車両のみに通行を許すという交通規制をかけています。 また、観光バスの山頂付近の駐車場利用時間に規制をかけて、回転率を高めています。 もっとも、それでも夜間の函館山登山道路の混雑、渋滞は酷いのですけれども。


さて、この「立待岬函館停車場線」という経路も、無理があったと私は思います。

なぜならば、夜景を見に函館山に登った観光客が立待岬に、寄りませんよねきっと(笑)。 昼に登る人を想定していたのだと思います。

しかし今は実際には、昼に函館山に登る人は比較的少なく、夕方から大混雑します。

おそらく往時は、夜は今以上の大混雑で、昼にまで人が溢れ出てきていたんだろうと思いますね。だからこんな計画を思いついたのかと。

もうひとつの無理は、立待岬から青柳町方面までに極端に増加するであろう交通量をうまく流せる道路を敷けるか、ということです。

そして、もしも「立待岬函館停車場線」が成立していたら、宝来町から松風町の間の、市電の旧・東雲線の道路も大混雑しただろうと思います。 その点でも、交通量を捌けたのでしょうか。 なにせ、道路の中央を路面電車が走っていたわけですよ?


では、計画頓挫で函館山の生態系は保てたのかといえば、そうではありません

そもそも、戦前までも、函館山は麓から(木材や燃料目当てで)ずんずん木を伐ってしまいましたし、軍事拠点にするために建築物をつくったりもしていました。 (砲台を建てるために山頂を削ったから函館山の標高が低くなったというのも、知る人ぞ知る有名な話です。ちなみに、その砲台跡の上に展望台を建てたということも……)

裸になってきた函館山に、替わりに植えたのは杉です。 (昔は、現在の函館西高の辺りにあったが、谷地頭の現在地に移転した)函館八幡宮の境内という理屈もあってなおさらに、杉が植えられました。 こんなのは人間の信仰の一種で、エゴイズムなのですが。 だから、現在の函館山は自然植生とかなりかけ離れています函館山の麓付近、下半分の鬱蒼とした杉林は、人工林です。人が杉を植えたんです。植えたくせに、伐って植え替えたりしないので、高木がボウボウで薄暗いです。函館山に限ったことではないですが、日本人はこのように、後始末をしない無責任な人間です。

また、函館市街の人間の活動を利用して、カラスが増殖してきました。 そのカラスの根城になっているのがまた、函館山です。 現在の函館山で人の行き来が多いのは、函館山登山道路と旧登山道くらいなもので、その他の登山道には登山者が少し通るくらいでしかありません。 立待岬函館停車場線」が頓挫してなおさら、千畳敷方面は、登山コースの一部でありながら、カラスの巣窟です。人を襲うかもしれないくらいです。

しかし、市のやっていることは、維持であって、回復ではありません。 要は、現状維持です。 実際、市役所どころか、地元住人も、現状をただしく理解していないと思います。 私にはふざけていると思えますが、市は「函館山の豊かな自然」とか、のたまいます。

だから、杉林を植え替えるとか、カラスを駆逐するとか、そういう回復策はとられていないも同然です。 むしろ、ヘタに環境保護のための規制をかけてしまったために、手出しが全く不可能になったといえます。

「新幹線開業効果」のような、景気の悪さと受動的な思考

経済

北海道新幹線」が開業して渡島大野新函館北斗)に新幹線が来て1年が経つところです。昨年の三郎の日のダイヤ改編と合わせて新幹線が動き始めました。

「新幹線開業効果」という語彙は盛んに用いられていて、なにかにつけて「北海道新幹線開業記念」という冠を付けて騒いできました。

「新幹線開業効果」ですが、これほどまでに宣伝してマスコミ露出を増やしたのですから、あって当然ですよね。どれだけのカネがデンパクに動いたんだろうかと思うとゾッとします(笑)。

新幹線開業ということであちらこちらで騒いだから、これをきっかけに函館に来る人(来函者)は増えました。 しかしそれからどのくらいの割合が今後また来るのかって問題ですよね。

函館駅前の現状

実際には、函館駅前は、青函連絡船が無くなった時点でも経済縮小していますが、新幹線開業を口実にして急行はまなす北斗星などの夜行列車も無くなったことでトドメを刺されました。

廃業したWAKOデパートの跡地に「キラリス函館」という高層ビルが建てられました。故あって竣工が後れ、部分開業が昨年の夏になりましたが、全面開業はテナントが入らないので遅らせるようです。 ビルがスカスカだからなのか公共事業の一環か何がやりたいのか解りませんが、市は「はこだてみらい館」というのを「キラリス」の中に設けたものの、想定の4分の1という凄い動員数で推移しています。実際に、私も行ったことがないのですが。 駅前を、観光客だけのものにせず、住人の場や交流の場にしたいという思いつきなのでしょうが、どちらかというと、それを口実に高層ビルの建築を推進してガラガラのところを埋めようという魂胆なのだろうと邪推せざるをえないくらいです。

函館駅前という海に挟まれた砂州に高層ビルを建てるというのが既に異常で、風土に、自然法則に逆らっているといえます。 そのうえに、「キラリス」は外観の設計が悪くて、気軽に奥まで入れるような雰囲気ではありません。オフィスビルなんかとすら思えます。実際には高層部が住宅なんで、似たりよったりですが。 道路挟んで隣の棒二森屋別館(ボーニ・アネックス)の方がボロボロなのに、好対照です。ボーニアネックスは入りやすいし、冬なんか、暖まりによく入ります(笑)。

そのボーニアネックスにしても、無印良品が入っているのですが、五稜郭公園前、つまり本町(ホンチョウ)に引っ越すらしいですね。観光客目当てにすれば結構売れていた無印良品なんですが、そういうのは本意では無かったのでしょうね。 地元の人が多く集まるのは、繁華街では本町で、丸井今井もまだあります棒二森屋よりはボロくなくブルジョワな雰囲気です。 地元の買い物は、美原や昭和のような旧亀田市の住宅地の近くが主で、自家用車でまとめ買いする群れがいるのですよね。イトーヨーカドーとかメガドンキとかユニクロとか、ヤマダとかケーズとかベストとか、そっちですもの。強いていえばさらに、五稜郭駅五稜郭公園ではないです)の近くのポールスターショッピングセンターとか。

ボーニアネックスには、新幹線開業に釣られたか、ミニプラが入りはしました(昔のソニープラザですよね、あれはたしか)。 あと、期間限定(超限定(笑))で、東急ハンズが入るみたいです。 東急ハンズは札幌にはありますが、函館に出てくるコストは大きく、他方で函館にはイエローグローブ(小笠原)とホーマックがありますから、勝算はあんまりないと思います。契機がどんなもんなのか様子を見に来るんだと思います。

函館駅前の整備も、色々と後れています。駅前の商店街(都心商店街)のアーケードを撤去しましたが、その後の共同溝工事は遅々としか進めておらず、アーケードの下だからこそのタイル舗装が今や積雪期には滑ること滑ること(苦笑)。 共同溝工事と合わせてアスファルトにでも貼り直す気なんでしょうが、何年間タイルで放置する気なのか。しかも、閉業した店先など雪かきされずに放置とかあるし。

ICカード今月導入(遅すぎる)

ICAS nimoca」(イカすニモカ)が今月から運用開始されます。すでに販売は始まっているようです。 市電と函館バスで使えます。「交通系ICカード」なので、相互運用の利により「電子マネー」にもなりはします。

遅すぎます。 単純に考えて、新幹線開業時か、それに先立って導入されていなければおかしいですよね。

JR北海道Kitacaを導入してこないのも異常です。本業で収益が上がらず、資金運用が主な収益だった上に、事故や不祥事件(点検不正)を起こしたことで安全強化策に予算を充てるということで経営縮小が加速しているので、Kitacaが来ないのも、「並行在来線」とかいって江差線を3セク化したのも、むべなるかなというところですね。

電子マネー」の利用自体は函館でも、大手コンビニではとっくに普通に使えましたし、近年ようやく観光客向けの主要店舗に導入が進みました。 つまり、順序が変です。

かりに、特別デザインのICカード売って、データ書き込んで一日乗車券として使えたりしたら、とても売れると思うんですけどね(実際には無いです)。

詳細、蓋を開けたら、乗継割引すら「ICAS nimoca」でないと受けられないらしいです。 KitacaとかPASMOとかICOCAとかmanacaとかではダメらしいです。 乗継やるのは地元住民だけだからいいということなのでしょうかね。ICカードにするだけでも現金よりは便利なんですけど、ICカードへの移行をそこまで優遇したいのでしょうか。 まあ、貧困ですから、優遇しないと現金にする人は少なくありませんし、優遇すると言われるとケチの性根がうずくわけですが……

観光客依存と国策受動の限界

日本は貧困と経済縮小が進んでいますから、有所得者は暇が無いでしょう。 貧困層は、精神衛生上は旅行をした方が善いのに、遣うカネがそもそも無いので、旅行すら困難です。さらには今や、「貧困は自己責任」と言って低所得者を苛めるのが道徳として行われていますよね。 景気悪くて当然でしょう。

一時は、上海とかの中国の勢いがあったのもあり、国外からの観光客が増えましたが、もう既に頭打ちになっていると思います。中国などが膨張したのも日本が産業を輸出したからで、その日本がもう貧しいですから、限界は見えています。 そもそも中国を含め東アジアの中国文化圏は日本も含めケチですので、偉い人には高価な土産物を貢ぎますが、それ以外は概ねケチります。一部の成金は「爆買い」とかするらしいですが、その一部に甘えていて成り立つのは一部の業者だけだと思います。

つまりそれは、華人韓人だけではなく、日本人も同じです。一部の高所得者にくっついておこぼれをもらうトリクルダウンで成り立つ業者は限られています。 例えば、長期滞在用宿泊施設が函館にもいくつかありますが、先行したところはそこそこ人気があるようですが、新幹線プチバブルに騙されて思い付きで建てて痛い目にあっている宿泊施設もあります。 資産家目当てにしても限られたパイの奪い合いです。高級ホテルで生き残っているのは限られます。国外からの観光客(インバウンド)目当てに従業員のマルチリンガル化を進めて、施設の改装はケチって、しぶとくしぶとく採算を保っているタフなホテルもあります。他方で、プチバブルを契機に身売りするホテルもあります。取り壊す余裕がある内に廃業したホテルもあります。ビジネスホテルの需要も限界があり、むしろ事業が札幌や東京中心になって函館が干からびてきています。たぶん旭川に取られていっています。

日本人の多くがそうで、多くの地域の人がそうなんですが、観光客がカネを落としていってくれることには大層喜ぶんですね。 けれど、移住してくるとなると注文が多いんですね。資産や信用がないと、移住は難しいです。四国だとかの島国根性のところとか、どっかの山奥もそうですが、かつて最先端の都会だった函館ですら、すっかりこのような老害化が起こっていると思うのですよね。(開港は伊豆下田と同期で、横浜や神戸より先ですから。)

ただでさえ、函館人は、訛っていたり、粗暴だったり、喫煙率が高かったりだから、やって来ても自ずと疎外されがちなんですよ。 先に住んでいる人間は、現状を変えたくない、自分の社会状況を変えられたくないわけでしょ、日本人にせよ、アメリカの開拓農場主にせよ、さ。 日本は儒教国家ですから、先輩風吹かせるとか、上司や経営者が偉いとか、いろいろギスギスしていますよね。

受け入れる側が意識的にへりくだってでも移住を頭下げて雇用まで用意してでも歓迎しないと、状況は変わらないと思いますよ。土地は売れないほど余っていますから、それで思い切ったことするのか、それとも廃墟になりたいのか。

函館市は急速に人口減が進んでいます。 それは、もともと定住している人が多くはない都会だったからだし、若年層の多くは札幌や東京に逃げてしまいます。職がないので食がありません(苦笑)。きょうび、農業ですら食っていけないくらいなのに、農家の少ない旧函館市はどうやって食っていくのかって、観光産業とイカ釣りばっかりなんだと思います。 人口流出と自然減(人は普通に死ぬ)で、人口は減ります。少子高齢化が原因なのではなくて、人口流出が原因です当然。 事実上の国策で、東京や札幌の一極集中は進んでいます。首都機能を分散するという政策は民主党政権の頃くらいでしょうか。 函館もさびれてきていますが、渡島檜山地方を見回すともっと酷い目に遭っている地域は沢山あります。人口増を期待していいのは、北斗市七飯町あたりくらいでしょうか。

普通に考えて(笑)、雇用が足りないので、函館に移住するのは困難です。コンビニバイトとかならありますが、最低賃金クラスで、その最低賃金がですね、北海道は、凄いです(笑)。 冬の生活費のかかり方も凄いです。暖房費を減らしたければ、そういう住宅に住まねばなりません。 一戸建てなんか買ったら、維持が大変です。 暇で裕福なら雪かきなんてやればいいだけだろと思うんですが、貧困だとそうはいきません。貧困と高齢化で、雪かきもしてない健康状態が悪いんだろうな、とおぼしき老朽家屋も散見されます。そこそこの確率で共産党のポスターが貼ってあります。 貧困構造で、トリクルダウン(笑)なんだろうな。

遣うカネが無いんで、経済が死んでいるんですよ。 資産家がカネを持ってきてくれるという甘えでは続かないんですよね。 貧困が無くなって、遣うカネがあって、かりに人でも雇ってでも雪かきさせられたら、凄い経済効果だ。 しかし、そういう些事に応分の報酬が出されるようにして雇用をぶんぶん回すという発想は、日本人には、無いですよね。かりにそういう発想があったら、ボランティアなんか無くて、皆裕福ですよ。介護職にせよこんな苦労してませんよね。

当然ながら、低所得者や無所得者はどんどん増えています。 この層が、遣うカネをもっていないと、経済は保てない。貧困層は社会から疎外され切断されて、いないのと同じことにされてしまいます。 貧困層はどんどん拡大していますから、他方の経済社会はどんどん縮小しています。 花粉アレルギー保有者がいよいよ過半数になりそうらしいですが、そのうち貧困層過半数になるのかもしれませんね。 それでも杉林の抜本的策がとられるどころか、杉は人が植えたので人災ですという事実すら隠蔽されているくらいですから、貧困と経済縮小がどうなるかも想像がつくように思います。

それでも、金持ちと国に甘え続けるんでしょうか。 甘えてきたから飼い殺しにされて、甘えるほどにカネが無くなって人が居なくなっていっているのですが。

海上冬花火が始まりました

日記 観光

海上冬花火が、無事今日始まりました。 実質的には、観光産業と市が実施しているものです。

今年は、2月8日から同12日までの予定です。開催時間は19時40分頃から20時頃です。 もしも荒天だと中止のこともありますが、今年はおそらく全日程開催可能だと思います。

観覧場としては、摩周丸と魚市場の間の辺りです。 http://fuyuhanabi.com/access/index.html

11日と12日の土日限定ですが、摩周丸に(有料で)入館して観覧することも可能です。(通常は夜やっていません。)

海上冬花火は寒い時期なのでそれほど人気がないのですが、もしかすると土日は混むかもしれません。 路面凍結が多い時期ですので、天気によっては辛いです。10日金曜が降る予想で、土日は最高気温がプラスなので凍る可能性があります(日没頃から凍ります)。 打ち上げ花火なので見えるところならどこでも見られますが、混雑する行事があるとコンビニ駐車場などはバリケードが張られてしまうことが多いです。

箱館戦争になったのは、仙台藩の稲作依存が原因

歴史

戊辰戦争

戊辰戦争とは、薩長同盟と奥羽越同盟とが戦った戦争です。 この史実もそれほどには知られていないでしょうから、あらかじめ言っておきます*1。 「新政府軍」「官軍」とか、「旧幕府軍」「旧幕府脱走軍」などといった表現は、完全に価値観を入れ込んでおり偏向しています。

戊辰戦争とはいわば西軍 対 東北軍の戦争でした。 当初は、奥羽越、つまり北陸・東北の方が有利にも思われていました。版図も奥羽越は広かったし、石高もあったはずです。

ところが、奥羽越には資金力がなく、仲間割れ、裏切りが進み瓦解していきます。 そうして敗走を続けた榎本武揚はじめ武家たちが行き着いたところが箱館でした。

仙台藩と「蝦夷地」

さて、奥羽越でも特に広く、中心的な位置にあったのが、仙台藩(伊達家)です。版図は現在の岩手県南部から茨城県、筑波や土浦の辺りまでに及びます*2。 しかも仙台藩は、「蝦夷地」も大半を支配し、警固をしていました*3

つまり、「蝦夷地」は仙台藩の支配地、奥羽越の領土であり、奪われまいとしたし、そのホームグラウンドで抵抗したわけです。 榎本軍は何が言いたかったかというと、「蝦夷地を我々に知行しろ」、この取引のために抵抗したのが箱館戦争です。

なお、箱館の警固は、多くの時期は南部藩(現・青森県東部〜岩手県の大半)が、一時期は松前藩が担当していたようです。 とはいえ、箱館は、農業をやれるところではほぼなく、商家や漁師などが移住してきていていましたから、地元コミュニティが先に形成されていたようです。

奥羽越が敗けた原因

ところで、戊辰戦争では資金力がありイギリスから兵器を買い集めた薩長が勝ちました。 他方の奥羽越は資金力不足で兵器が足りなかったのです。

なぜ奥羽越がそんなに財政悪化していたのか。特に中心である仙台藩ですね。

仙台藩の財政悪化の原因は、稲作依存です。

仙台藩は、藩士に土地を与えて統治させ年貢を稼がせていました。禄、つまり給与制ではなかったのです。 そして、そうして藩士が稼いだ米を仙台藩が買い上げて転売して、藩政を賄っていました

そうなると、藩士は、買い上げてもらえる米をつくりたがります。稲作ばかりやるようになってしまいます。

仙台藩としても、米がちゃんと獲れれば、それを藩外に輸出してドンドン儲けられ、ウハウハです。

しかし、江戸時代後期になると、世界的な寒冷化が起こります。 寒冷化の原因は火山の噴火ともいわれていますが、とにかく寒冷化しました。 そうなると、ただでさえ寒い東北で、夏がさらに冷えるとなれば、稲は育たなくなってしまいます。虫や細菌にもやられやすくなってしまいます。

米が獲れなくなってしまったので、カネがかかるばっかりで歳入がなくなります。仙台藩の財政は危機的状況になってしまいました。 ところが、財政構造を変える術はありません。かりに藩士の土地を藩有に付け替えて禄制にしても、そもそも米が獲れないので禄を出せません。

食糧は仙台藩依存

江戸時代には、稲作が圧倒的だった仙台藩が輸出する米にかなり依存していました。 だから、東北の冷害、凶作で何が起こったかというと、大飢饉です。 天明天保の大飢饉は教科書にも書いてあるでしょう。

仙台藩の稲作依存と、全国の仙台藩への食糧依存が、大飢饉という大災害に繋がったのです。

幕末にかけて、噴火や地震などの天変地異が多発しました*4。そしてその影響で大飢饉も起こりました。 さらには、欧米がやってきました。

ちなみに、全国的な貧困と、各藩の兵器の買い付けなどで、金銀のほとんどは欧米に流出しました*5。 金銀が減って、財政も悪化して、貨幣の質は落ち、ハイパーインフレでも起こるような状態にもなっていました。

こうした政情不安のもとで統治体制を改めようとしたときに、奥羽越と薩長の東西対決という結果になったのです。

そして、奥羽越が敗北し瓦解して、榎本軍が箱館に籠もって抵抗し、「箱館戦争」になったわけです。

仙台藩その後

戊辰戦争で敗北した仙台藩ですが、藩士を大量解雇して帰農させるしかなくなってしまいました。藩が給与や身分を保障しきれない。藩士は解雇されて士族ですらなくなったりしました。

そうして帰農した元仙台藩士のなかから、「蝦夷地」→「北海道」に開拓に行く人々が多数出ました。 その開拓地の一つが、現在の「伊達市」です。

ちなみに、福島県にも「伊達市」があります。福島県の方が本家筋ですが、市政移行したのは福島県伊達市の方が後です。 福島県伊達町が市政に移行する際に「伊達市にしてもいいですか」と北海道伊達市に訊いたようですが、本家筋からお伺いを立てられても断れる立場にありませんね(笑)。

「北海道」の「開拓」「拓殖」というのは、江戸時代の和人の抗争の後始末の帰結です。 教科書やマスコミなどでは概ね美化されていますが、見ようによっては「黒歴史」ですし、アイヌから見れば侵略されたということになります。

*1:学校では日本史を真には教えていませんし、どこの教科書も刷り込みたいことしか書いていません。山川だろうが育鵬社だろうが。ましてや、学校現場でまともに教えられるわけがなく、なにせ教諭がまともに知らない考えていないうえ教える能力も足りないですから。

*2:そんなこともあり、土浦などは「南東北」と俗に言われることすら未だにあります。

*3:蝦夷地」と呼ばれていましたが、これは蔑称、つまり差別語です。

*4:和親条約(ペリー)開港2港は箱館と下田ですが、通商修好条約(ハリス)では下田が外れているのも、大地震による津波で下田港が壊滅したからです。

*5:昔は世界有数の資源大国だったのです。